祭 神:八幡大神 説 明:允恭天皇陵をお守りする形で建っている神社です。 允恭天皇は、八幡大神=応神天皇の孫にあたる天皇ですから、 允恭天皇もお祀りされていると考えるべきでしょう。 允恭天皇は、仁徳天皇と石媛皇后の息子です。 病弱であることを理由に一旦即位を拒まれたのですが、その後 中国から名医を呼び寄せ、全快したと伝えられています。 奥さんも一人だけ。控えめな天皇であったようです。 住 所:大阪府藤井寺市国府1丁目4 電話番号: ひとこと:允恭天皇は、氏姓の制定などに力を尽くされた天皇で、穏やか な方であったろうと想像されるのですが、子供9人のうちに、 あの有名な衣通姫(そとおりひめ)と、木梨之軽王がいるんで すね。知りませんでした。 衣通姫と、木梨之軽王は、同母兄妹です(そりゃ奥さんが一人 しかいないんだから当然)が、恋に落ちてしまうのです。 衣通姫というのは、美しさに光輝いていて、その光が衣を通っ て輝いて見えるところから、つけられた名前ですからそりゃぁ 美しい人だったんでしょう。 おまけに、柿本人磨呂・山部赤人と並んで、和歌三神と尊ばれ ているほどですから、才人でもあったのでしょう。 しかし、その為、木梨之軽王は、皇子の立場を剥奪され、二人 は、情死した・・・と伝えられています。 **************************** とここまで書いてきて、ふと思い出したのが、三島由紀夫の 「軽王子と衣通姫」。作品中では、確か衣通姫は允恭天皇の思わ れ人であったはず・・・。まさか、兄妹で、愛し合った上に、 父娘でも??と、衣通姫について調べてみたら、古事記では、 允恭天皇の娘となっているけれども、日本書紀では、允恭天皇 の皇后、大中姫の妹となっておりました。 結末は、衣通姫と軽王子との情死であることに変わりはないよ うですが。天皇の思われ人を恋した罪と、実の妹を愛してしま った罪。軽王子にとっては、どちらが苦しかったのでしょうか。 小説は、この允恭天皇陵で、大中姫と衣通姫が出会うところか ら始まります。 二人とも、崩御された天皇を偲んで、隠れて墓陵を訪ねてこら れたんです。 美しい姉妹が二人して思う人の墓陵がここである・・・。 そう考えると、何か妖しい気持ちになります。 −−後記−− 三島由紀夫の「軽王子と衣通姫」を読み返してみました。 つい、軽王子の苦しみに目をやってしまいましたが、允恭天皇 の苦しみはいかばかりのものだったのでしょうか。実の息子と 娘の許されぬ恋を見る父親と。 自分の皇后の妹にいれ込んでしまい、愛する皇后の苦しみを見 つつ、そして猶、自分の息子と思い人(衣通姫)との恋を知り ながら許すのと。 允恭天皇の「允」は「ゆるす」と読みます。「恭」は「うやう やしく」。お優しい、心の深い天皇だったのでしょう。 美しい姉妹が二人して、深く、心の底から、愛しむ気持ちがわ かるように思います。