祭 神:楠木正成公 説 明:楠木正成公といえば、説明は要りませんね。 と、河内に育った私なんぞは、思ってしまうんですが、北海道 からの来客に、「楠木正成公って誰ですか?」って聞かれたこ とがあるので、奢らずに、説明しましょう。 栞からの移し書きです。 「大楠公は、永仁2年(西暦1294年)大阪の南河内に生まれ られたが、この頃は、北条氏が鎌倉で国の政治を行っており、 その政治は大変乱れていた。 大楠公は、“日本では、もともと武家が政治を行うことは間違 いである。天皇が自ら政治を行われることが正しい”と確信さ れ、元弘元年(1331年)後醍醐天皇の命を受けて、鎌倉倒 幕の兵を挙げ、執権北条氏の大軍と戦われた。これによって多 くの武将も天皇をお助けし、遂に北条氏を倒して武家政治を廃 し、天皇の政治を回復した。これを“建武の中興”と言う」 しかし、もっと有名なのは、次のことでしょう。 「しかし、まもなく足利尊氏が叛いた。一度は、楠公の軍勢に、 負けた尊氏は、九州へ敗走したが、やがて大軍を集め、入京。 大楠公は、桜井で、息子・正行と別れ、この湊川の地で、尊氏 と戦われた。敵は数万。味方は700余り。衆寡敵せず、遂に “七生報国”を誓って自刃された」 最後まで忠義を貫いた、忠臣として、まず浮かぶのは楠公でし ょう? 河内が誇りにしている人物なのです。 住 所:兵庫県神戸市中央区多聞通3丁目1−1 電話番号:078−371−0001 ひとこと:まぁ、しかし、私が楠公に惹かれたのは、「忠臣」であるとい うことより、戦い方の奇抜さでした。 自害したと見せかけるために、自分の城に火をかけたり(うん。 忠義という自尊心はありながらも、自分の城という形の自尊心 がないところが、また、男らしい)、十分に兵器がなければ、 おしっこを武器にしてしまうという頭の回転といい、山伏を使 った、情報戦略といい、古風ではないのです。 現代でも、会社を興すなら、部下に一人は欲しい人物なんでは ないでしょうか? っちゅうより、社長にしたいタイプか。 もちろん、「天皇に」という部分にひっかかりを感じる方も、 いらっしゃるでしょう。ただ、「恩義を受けたら、たとえ、不 利だと分かっていても、忠義を貫き通す」という一本気さを、 誇りにしてるのだと思ってください。 とにかく、河内の誇りなのです。はい。