祭 神:応神天皇 神功皇后 仲哀天皇 住吉大神 春日大神 説 明:主祭神は、応神天皇ですが、由緒書きによりますと、 「神功皇后が、三韓征倒の後、この百舌鳥の地に鎮まり、 天下泰平民万人を守ろうというご誓願を立てられ」こ の神社が創建されたのだそうです。 当時、百舌鳥は、「万代」と書いたようです。 住 所:大阪府堺市百舌鳥赤畑町 電話番号:0722−52−1089 ひとこと:大阪城代が交替する際、必ずこの神社に参拝すること になっていたのだそうです。 大阪城からだと、結構な距離ですね。それだけ武功の 霊験について、信仰されていたってことなんでしょう。 むむむ??大阪城と堺って、なんか引っかかりが・・・。 大阪城・・・豊臣秀吉。堺・・・千利休。 ってことで調べてみました。千利休が詫び茶の境地を 開いたといわれる南宗寺は、ここから、3キロ弱、千 利休の屋敷後は、3キロ強。 これはなにかあるかも・・・!! が、力及ばず。秀吉と、この百舌鳥八幡との関わりは、 何も見出せませんでした。 歴史が大の苦手だった私は、秀吉の利休に対する複雑 な愛憎感情については、全くわかっていないのですが、 秀吉自らが切腹を命じた利休に対しての思いが、大阪 城代交替の際の参拝である・・・。 そうだったらいいなぁ。 −−後記−− 戦国武将に詳しい方々から、ご意見をいただきました。 大阪城交替は、江戸時代のこと。 徳川家の天下で、徳川が滅ぼした豊臣家の意志(千利 休に対する追悼)を引き継いだという考え方は、難し いんじゃないか・・・ということでした。 そういやぁ、そうですよね。大阪城ったって、豊臣秀 吉の子孫や、配下の武士が城主になったわけじゃない んですもんね。ちょっとがっかり。