祭 神:丹生大明神 高野大明神 説 明:丹生大明神とは、丹生津姫命のことでしょうか。 高野大明神は、別名狩場明神。 弘法大師を、高野山に導いた猟師であるといわれています。 住 所:大阪府河内長野市天野町 電話番号: ひとこと:このお社の前に、女人高野で有名な、「天野山金剛寺」があり ます。 女人高野とは、女人禁制の高野山に登れない女性に登山を許し た寺院を言います。 空海は、天河弁財天で、百日篭りをしたり、弁天様の竹生島に 寺院を建立したり、女神・弁財天と縁の深い僧です。 しかも、高野山はもともと、丹生津姫の山=女神の山だったの ですね。 なのに、女人禁制とはいかに? 「穢れ」とは、もとは、「気枯れ」だったのだそうで、つまり、 満ちているべき「気」が枯れた状態を言ったのだそうです。 女性の月経が「穢れ」なのは、元気がなくなるから?と考えれ ば、なんとなくわかる気はしますね。 もともと神道では、「穢れ」を嫌う神域には、「気」が枯れて いる人間、つまり、病気の人間は遠慮して入らなかったりした のかも知れません。 また、高野山に女人を入れない理由としては、山が女神だから、 「神様が焼餅をやく」なんて理由もくっつけられそうです。 弁天様にお参りする時、カップルが手をつないで参拝しては、 いけないという話も、聞きますね。 しかし、冷静に考えたら、女神が、人間のカップルに焼餅やき ますかねぇ? 神話を紐解いてみたら、美女と男のカップルに、男神が茶々を 入れて、美女を横取りしようとする・・・方が、ありそうな気 がします。(美女の皆さん、ご用心(笑)) そんなことから、実際は、修行中に側に女性がいると、気が散 る・・・というのが正解でしょう。 しかし、空海が影響を受けたという「理趣経(般若波羅密多理 趣品)」には、こんな文句があります。 「妙適清浄の句 是菩薩の位なり 欲筅清浄の句 是菩薩の位なり 触清浄の句 是菩薩の位なり 愛縛清浄の句 是菩薩の位なり」 妙適とは、男女が交合して、恍惚の境に入ることだそうです。 つまり、空海の根本的な考えに、「男女のこと」は、決して、 悪ではないのですね。 なのに、なぜ、高野山は、女人禁制なのか・・・? 空海は、母親さえ遠ざけて修行しているため、彼が激しく、 女人を拒否したように考えられていますが、実際は、そうだ ったんでしょうか? 大体、仏教の始祖・釈迦は男女はともに涅槃に至ると説いて いるわけですしね。 謎は謎を呼びながらも・・・。 女人が側にいても修行できるくらいじゃないと、立派なお坊 さんにはなれないと思いますよ。ねぇ?