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小野神社

ono




  祭  神:天足彦国押人命 米餅搗大使主命
  説  明:天足彦国押人(あまたらしひこくにおしひと)命は、「古事
       記」に、「小野臣の祖」。
       米餅搗大使主(たがねつきのおおおみ)命は、「新撰姓氏録」
       に、「小野朝臣。大春日朝臣同祖、彦姥津命の孫、米餅搗大
       使主命の後なり」。
       と、記されている、つまりは、二神とも、小野氏の祖神であ
       ります。
       天足彦国押人命は、第五代・孝昭天皇の第一皇子であり、米
       餅搗大使主命は、この神から第七代目にあたるのだそうです。
       境内社に、小野妹子神社(祭神:小野妹子命)、小野篁神社
      (祭神:小野篁命)、小野道風神社(祭神:小野匠守道風命)
       があります。
  住  所:滋賀県滋賀郡志賀町小野
  電話番号:
  ひとこと:第一代・神武天皇についての記載は長文なんですが、第九代・
       開化天皇までの記述は、むちゃくちゃあっさりしてます。
       
       単に資料不足なのかも知れません。

       ただ、「小野神社由緒記」には、天足彦国押人命は、この地
       に早くから在住されたのだと記載されているそうです。

       また、米餅搗大使主命は、応神天皇の時代に、始めて餅を作
       り、米餅搗の姓を賜ったのだそうです。

       また、この氏子地域では、古風な習慣が残っており、男児が
       生まれて2歳になると、神事料として、米二斗五升を納め、
      「村入り・氏子入り」するのだそうです。そして、15歳にな
       ると、長男ならば、米一俵、次男以降は、米三斗を納めて、
      「出世成り」を果すんだそうです。この「出世成り」を終えた
       者を「烏帽子(よぼし)」と呼び、一人前の扱いを受けるこ
       とができるんだそうで、神輿担ぎに責任を持たされるんだそ
       うです。

       さて、小野氏というのは、この境内社に祀られている、小野
       妹子・小野篁・小野道風など、錚々たるメンバーが揃ってお
       りますが、もう一人、もしかして、これらのメンバーよりも
       よく知られているかもしれない、有名人がおられます。

       そう、小野小町なんですね。神社の系譜によりますと、小野
       篁の息子・小野良真の娘であるとなっています。

       外交の名手・妹子。
       漢詩をよくする学者・篁。
       書の名手・道風。
       和歌の名手&美女・小町。
       なんと多才な一族ではありませんか。
       祖神は、お菓子造りの匠だしね。

       さて、小町は、宮仕えの時から、美しさ・才能比類なしと呼
       ばれた多才の人であったのですが、彼女の美しさを後世まで
       伝えたのは、なんといっても、深草少将の百夜通いのお話で
       しょう。

      「深草少将に熱烈なラブコールをされた小野小町は、断る口実
       として、『そんなに私が好きならば、百夜一番も欠かさず、
       ここに通っていらしてくださいな』と袖にするのだが、真面
       目な深草少将は、まじに九十九晩も通い、とうとう、風邪を
       こじらせ亡くなってしまった。」という。

       大概の物語では、この後小町は、悲しんだ・・・となってい
       るのですが、私は、案外、「ば〜かじゃないの」くらいのこ
       とを言った方が彼女らしいように思います。

       その他、美男・在原業平の求愛をてんと撥ね付けたとか、彼
       女に袖にされた男性の数は、両手に足りないなんて言われた
       りします。

       そんなことで、妬みとか、やっかみもあるんでしょうが、
      「玉に疵(きず) ないのが小町 玉に疵」
       なぁんて江戸川柳に詠まれてたりします。
       つまり、小町には、女性器がなかった、っていう伝説がある
       わけなんです。 

       ってなわけで、「小町針」ってご存知ですか?
       つまり、糸通し孔がないんです・・・。うぅむ。

       彼女が美女であっただけに、また、
      「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる 
       眺めせし間に」
       なんて、容色の衰えを嘆く歌が百人一首に載っているせいか、
       彼女の晩年についても、能「卒塔婆小町」では、乞食となり、
       狂い死にしたと描かれていたりして、容赦ありません。

       が、
      「思いつつ 寝ればや人の見えつらん
                              夢と知りせば 醒めざらましを」
      「いとせめて 恋しき時は むばたまの
                                  夜の衣を 返してぞ着る」
      「おろかなる 涙ぞ袖に玉はなす    
                           我はせきあへず たぎつせなれば」

       どうです。彼女もきっちり、恋をしているようです。
       また、
      「人に逢わむ 月のなきには 思ひおきて  
                                胸走り火に 心焼きけり」
       とは、なんとも情熱的ではありませんか?
       きわめつけ、
      「岩の上に 旅寝をすればいと寒し   
                                苔の衣を 我に貸さなむ」
       うひ〜〜〜〜〜。
       これは、石上寺の僧正・遍昭に詠んだ歌だそうですが、
       遍昭もきちんと、「衣を貸すと寒いから一緒に寝ましょう」
      (おいおい。お坊さんがそんなこと言ってええんかい)と、
       返しているんだそうです。

       振られ男ってのは、振った女を悪く言うものだということ
       がよくわかる逸話ですね。

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