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男乃宇刀神社

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  祭  神:彦五瀬命 神日本磐余彦尊 五十瓊敷入彦命
  説  明:彦五瀬命と神日本磐余彦尊は、兄弟です。
       ってぇか、日本初代の天皇とその兄です。と言う方がわかり
       易いでしょうか?

      「彦五瀬命、長髄彦を征し給う時、官軍を横山彦出迎へ行宮を
       造る其時御狩し玉ひし所御狩山と言う、今のカリ山之なり此
       地に神輿渡御所在地有之」と神社明細帳に記されていて、

      「神武天皇が長髄命を征した時、皇兄五瀬命が流れ矢に傷つき、
       軍を反した時、横山彦がこれを奉迎して当地に行宮を営んだ」
       と、和泉名所図会などにも述べられているそうです。

       五十瓊敷入彦命は、この地を領せられた縁故によって元慶年
       間に奉祀されたそうです。  
  住  所:大阪府和泉市仏並町1740
  電話番号:0725−92−0245
  ひとこと:「男乃宇刀(おのうと)」は、「兄乃(おの)」「弟(おと)」
       で、即ち、彦五瀬命と神日本磐余彦尊兄弟のことを表すのだ
       そうです。

       が、この二人については、他にも詳しいですので、ここでは、
       五十瓊敷入彦命について述べましょう。

       彼は、垂仁天皇と皇后日葉酢媛命の長子です。

       ある日、垂仁天皇は、彼と、弟、大足彦命を召して、
      「何が欲しいか?」と訪ねます。
       すると、兄・五十瓊敷入彦命は、
      「弓矢をください」とお答えし、
       弟・大足彦命は、
      「天皇の位」と答えます。
       普通ならば、「あ〜〜〜、俺も皇位の方がええわい!」と、
       兄弟喧嘩になりそうなものですが、これに、五十瓊敷入彦命
       が異議を唱えることもなく、父王が、「おいおい」と嗜める
       こともなく、そのとおりになっちゃいます。 

       その後、五十瓊敷入彦命は、河内の国や倭に池を作った(水
       の確保)り、石上神宮の剣や玉を掌させられたり、大活躍を
       されます。

       大足彦命は、その息子・ヤマトタケルが有名ですが、その他
       に大きな業績は、ないんです。

       なんで、父王・垂仁天皇は、五十瓊敷入彦命でなく、大足彦
       命に、皇位を継がせたのか・・・。

       この時代、実は、まだ日本は末子相続だった、ってのが多分
       正解なんでしょうね。儒教が入ってくるまでの日本は、末の
       息子が家系を継いだんだそうです。

       天皇家は一系なハズなんですが、まぁ、勢力争いや、なんや
       で、他の血筋のものが取って代わることが少ないように、末
       の子供に継がせるわけですね。そうすると、自分の血筋の家
       系が、少しでも長く続く・・・という工夫なんです。

       また、もしくは、垂仁天皇には、予知能力があり、大足彦命
       に「ヤマトタケル」という英雄の息子が生まれる・・・と、
       知っていたからかも知れませんね。

       ここで得られる教訓は、なんでしょう?
      「欲しいものは、明言しろ」?
      「良い子供を持つものだ」? 
       どう考えますか?

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