shigoto

倭文神社

shitori




  祭  神:武羽槌雄命 経津主命 誉田別命
       境内社 若宮社:大鷦鷯命
           蛇塚神社:須佐之男命
  説  明:境内看板によりますと、
      「称徳天皇の御宇神護景雲二年、春日大社御蓋山の頂に遷座し給ふ
       後、侍従社司、中臣連時風・秀行氏が此の地に居住し、勧請した
       と云われ、その祖・武羽槌雄命(織部の神)を鎮祭した。
       倭文氏はその後胤で此の郷に住んで、神衣を織ったと伝えられて
       いる。
       経津主命は春日大社第二殿に奉られている武神。
       誉田別命は応神天皇で八幡宮である。
       御神徳 あらゆる生産・商売・安全の守護神として信仰されてい
       る。」
       とあります。
  住  所:奈良県奈良市西九条町2−14−2
  電話番号:
  ひとこと:この神社の秋祭りは、「蛇祭り」といい、「人身御供」を神饌と
       してお供えする風習があります。
       人身御供ったって、別に実際に人を供えるわけじゃなありません。
       まず、藁たばで作った胴体に、長方形の餅を串で刺して飾ります。
       そして、桧の葉をその上にかぶせ、十字に組んだ長い餅、わかめ
       を重ね、その上に里芋を二つに切り、切断面に「へのへのもへ」
       を書かれた、「顔」が乗せられ、さらにその上に、御幣をつきた
       てたもの、これが、「人身御供」と呼ばれています。

       昔、この、倭文神社の秋祭りには、神様に子供を供える風習があ
       ったんだそうです。
       で、祭りが終わればその子供が帰ってくれば、なんの問題はない
       んですが。勿論、その子供たちは帰ってきませんでした。
       ところが、ある時、勇気ある人物(弘法大師・理源大師・村人の
       六郎・・・といろんな説があるようです)が、子供の身代わりに
       なり、子供が入るべき棺に入ります。
       夜になり、あたりがし〜〜んとしたころ、「ずり・・・ずり・・
       ・」という音がし、「神」がやってきた様子。
       勇者が、棺の蓋をあけて飛び出すと、そこには大蛇が。
       大蛇に飲み込まれた勇者は、お腹の中から大蛇を切りつけ、三つ
       に切り裂いて退治したんだそうです。
       大蛇は、「蛇塚」に埋められてます。

       ってわけで、「蛇祭り」には、ずいきで作った「蛇」も登場する
       そうですよ。

       さて、ここまでは、秋祭りの説明をなぞっただけ。
       伝説も面白いんですが、私にとってもっと面白いのは、境内社の
       ご祭神です。

       若宮社、大鷦鷯命。仁徳天皇のことですね。
       本殿に応神天皇が祀られていますから、その息子の仁徳天皇が、
      「若宮」にお祀りされているのは、一応筋が通ります。
       でもね、でも、この神社の本来のご祭神は、武羽槌雄命だったわ
       けですよね?んじゃ、「若宮」には、武羽槌雄命の息子が祀られ
       る方が自然なんじゃ?
       ・・・ま、まぁ、これは、「若宮社」が比較的近年創建されたか
       らである、と、説明ができますね。

       しかし。しかし、です。
      「蛇塚神社」のご祭神が、須佐之男ってのは???
       た、確かに、須佐之男命も、大蛇(っていうか八俣の大蛇)を退
       治してますが、この神社に巣食っていた大蛇を退治したのは、弘
       法大師(もしくは理源大師か六郎)でしょう?
       別の国で、大蛇退治した須佐之男命をお祀りしちゃっていいんで
       しょうか(^^ゞ

       それとも、もしかして・・・。
       本当に、この神社の蛇退治をしたのは、須佐之男。
      「須佐」の男だったのかも。

       正確に言えば、八俣の大蛇退治の須佐之男をお祀りしていた人達
       が、この地に移り住んで、神社を作った。
       その後、神社の「須佐之男命大蛇退治」伝説は、変化を遂げ、今
       の伝承になったんだ、とか。

       とすると、須佐之男命と武羽槌雄命の関連が気になりますよね。
       ん〜〜、記紀を見る限り、関連ありませんね。

       須佐之男命は、出雲国の危機を救い基盤を作った英雄。

       天照大神の出雲侵攻・・・って言っちゃぁまずいかな。
       大国主命から天照大神に出雲を譲られた時、立役者だった、武甕槌
       命と経津主命がどうしても退治できなかった神がいました。
       名前を、天津甕星神。この天津甕星神を退治したのが、武羽槌雄神
       なんです。つまり、出雲国譲り時の英雄の一人ですね。

       だから、どちらかというと、「敵対関係」になっちゃうわけです。

       ただ、こう考えると、違う新しい関連が見えてきます。
       もし、天津甕星神が、「蛇」だったら?
       蛇退治の英雄という共通点が出てくるんじゃないか、と。

       星と蛇。
       関係があるんでしょうか?
       
       蛇祭りに参加してきました。レポートはこちら       

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