祭 神:宗我都比古大神 宗我都比売大神 説 明:曽我氏の始祖、石川宿祢夫妻のことです。 父親は、4人もしくは6人の天皇に遣えたという長寿の 人、武内宿禰です。4人もしくは6人の天皇と言います が、この時代の天皇も長寿ですから、武内宿禰は、三百 から五百歳ほどまで生きたのではないでしょうか。 ってことは、石川宿祢は、何歳の時の子供なのでしょう。 古事記では、武内宿禰の子供は7男2女。 石川宿祢は、3男ということになっています。 住 所:奈良県橿原市曽我町1・196 電話番号: ひとこと:蘇我馬子が、ここに社殿を造って、始祖石川宿祢夫妻を お祀りした、と由緒書きには書かれています。 さて、はて?と思ったのが、武内宿禰の息子の名前が、 石川宿祢。「禰」と「祢」は異体文字ですから、親子し て「姓」が違うのに「名」は一緒?ということです。 ところが、蘇我馬子は、正式には、蘇我馬子宿祢。 宿祢が「名」ではないようです。じゃあ、何か? なんと、宿祢が「姓」なんですね。 以下、講談社「日本語大辞典」より・・・ 「宿禰」 古代の姓の1つ。天武朝制定の八色の姓の第三。主とし て連姓の有力者に与えられた。 つまり、石川・武内が「名」なんですね。 しかし、蘇我馬子は熱心な仏教徒だったはず。 どういう風の吹き回しで、神社を造ったのでしょう? −−後記−− 「宿禰」が「姓(せい)」と書きましたが、姓は「姓名の 姓」ではなく、「かばね」と読み、称号を意味するのだ そうです。 ですから、石川の宿禰は「宿禰」という位にある石川君 という意味なんですね。 「課長 島耕作」みたいなもんかな? 石川宿禰の、正式名は、「宗我石川宿禰」と言うそうで、 「姓(せい)=氏」は、「宗我」なんでした。