祭 神:誉田別命 説 明:栞によりますと、 「誉田別命とは、仲哀天皇の第4皇子にして応神天皇の御こと なり。 由緒については、本社のそもそもの創立は定かではない。 『三代実録』によると元慶五年(西暦881年)十月、従五位 を授けられている。 社務所に所蔵する額に 『統神社元慶五年 子十月授位階在 須恵村今称八幡 五條村共祭祀出 大和志 従元慶五年至 天保九年 959年』 と八行に刻まれており、千年余り昔から氏神として崇められ、 旧須恵・五條村が氏子であったといえる。 旧指定村社にして現在五條市五條1丁目2丁目・本町・須恵・ 岡口及び新町の一部約1300戸の氏神として祭祀されてい る。」 とあります。 住 所:奈良県五条市霊安寺町2079 電話番号:07472−3−0178 ひとこと:所謂数多ある「八幡」神社で、「統」で「すえ」と読みます。 「すべる」「すめる」から来た読み方でしょうか。 「天皇」は「すめらみこと」と読みますね。 応神天皇は、胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと) という異名があったりするのをご存知ですか? 応神天皇の母親・神功皇后は、戦から凱旋する前に産気づく のですが、「鎮懐石」で陣痛を抑えたと言われます。 が、この時、先代天皇たる仲哀天皇は既に崩御していて、天 皇に、誰も即位していないのです。 そこで、この時、既に神功皇后の胎の中にいた(はずの)誉 田別命が、胎内で即位していた・・・。 そこで、胎中天皇と称されるのですね。 しかし・・・(^^ゞ 不自然ですよね。 天皇不在の間に、先代(既に崩御した)天皇の皇后が戦に行 くなんて・・・。 普通ならば、まず即位し、その後、天皇が戦に出るでしょう? ここで、記紀はこんな風に説明しています。 「神が西の国を神功皇后に与えると託宣したのだ」と。 こういうことを日本のことわざはこういう風に表現していま す。 「親の心 子知らず」 親たる神様の託宣を、子たる人間はちゃんと理解できないも のだ・・・なんて。 え?違いますか? じゃ、これですね。 「言い出しの、屁こき出し」 エレベータの中で異臭がする。 こんなとき、「誰だよ、おならしたの」なんて誰かが言い出 したとしたら、大概その人がおならをした張本人だ、ってい う意味で、 後ろめたい人間は、人から責められる前に言い訳するもんな んだってことですね。 あれ、これも、違いますか? じゃぁ、 「苦しい時の神頼み」 これですね。 ことわざになるくらい、よくあることなんですよ。 こういう無理のある帳尻合わせって。 だから、「おかしいんじゃね〜のぉ?」なんて突っ込むより も、「よくぞ辻褄合わせたね!」と誉めてあげましょう。