住吉大社 夏祭
2009年8月1日。
住吉大社夏祭を見学してきました。
お昼過ぎ、住吉大社を出発した神輿が、
堺市にある頓宮に渡御するという、シンプルな内容ではあるのですが、
大和川をまたぐことや、神社の規模の大きさなどから、見どころはいろいろ。
時間の都合で、頓宮までの道のりすべてを見ることはできませんでしたが、
お祭りの次第をざっと紹介いたしましょう。
まず私たちが向かったのは、堺市にある頓宮。
今では内陸にあるこの宮も、往古は海際でありました。
神輿到着前の神社はとても静かでした。
その後、車を近くのパーキングに置き、阪堺電車にて住吉大社へ。
こちらは結構な人出でしたが、
境内にあふれかえるほどの人というほどではありませんでした。
住吉大社は、四柱の神様が鎮座されているため、本殿が4つあります。
しかしこの日は、第三宮にてお祭りがされるようでした。
並んでいるのは、奥から順に、
船神輿
宝殿
お神輿
四柱の神はそれぞれ、船神輿とお神輿の両方に遷座なさっているのだそうです。
お祭り開始の14時少し前、
大門の外が騒がしくなりました。
担ぎ手の男性たちが、
「べぇら」
の掛け声とともに、本殿へ集まってきています。
先頭の男性たちが持っているのは、「鳴るかん」。
後ほど、神輿の担ぎ棒に取り付けられます。
ちなみに「べぇら」とは、「太平楽じゃ」が訛ったものだとか。
また一説では、「米楽」を意味するとも言われているそうです。
面白いのは、聞く人によっていろんな答えが返ってくること。
担ぎ手さんたちは、それぞれ自分なりの思い入れを持っておられるんでしょうね。
あと、冗談なのか本気なのかわからない方も何人か(^^ゞ
例えば、神輿の上に、葱のようなものが乗っているので、
「あれは葱ですか?」
と二人連れの男性に尋ねたんですが、二人は「ぶっ」と笑って、
男性A「稲やがな」
男性B「惜しいなぁ、あれはニラや」
私「へ?稲ですか?ニラですか?」
男性A「稲や、ニラなわけあるかいな」
男性B「ニラにしか見えへんやろ?ニラや!!」
多分間違いなく、稲が正解だと思いますが、
男性Bは、あくまでもニラだと言い張っておられました(^^ゞ
第三宮にて、まずは清め祓えが行われ、そして祝詞奏上。
その後、実行委員長に「采配」が授与されました。
采配というのは、梵天のようなものですが、
これで神輿を采配するのでそう呼ばれるのでしょう。
そしてお祭りの行列が出発しました。
行列に先んじて、神職さんたちが、境内を出られました。
馬や人力車が下でスタンバイしていましたので、それに乗りこまれるんでしょう。
行列は、猿田彦命から。
その前には提灯を持った男性と、祓え串の男性。
その後ろに武者姿の男性と、随神姿の男性が二人、
太鼓、雅楽隊。
そして宝殿。
船神輿
ここまでは、大門を通らず、横の門を通って境外へ。
神輿だけは、大門を通り、太鼓橋へと向かいます。
太鼓橋は、普通に渡るのも怖いほど湾曲した橋。
ただでさえ重たい神輿をかついで渡るのは、勇気のいることではないかと思います。
道行は、やはりまずは猿田彦命から。
その後ろに神職さん。宮司さんでしょうか?
その後ろにもうまに乗った神職さん、
人力車に乗ったお稚児さん、巫女さん。
そして宝殿、船神輿……と続きます。
1時間ほど行進したでしょうか。
一行は、大和川は大和橋にたどり着きました。
橋の上には、神職さん、宝殿、船神輿が並んで、神輿の到着を待ちます。
私たちも、橋を渡った側の土手に座っていたのですが、
なんだかおかしい。
神輿の到着が遅すぎるんです。
川のこちら側では、はっぴ姿の男性たちが集まってひそひそと話しています。
「我慢してくれ」
という声が聞こえてきて、
「中止」
なんて言葉も飛んでいます。
実は、神輿だけはこの川の中を渡るはずなんですが、
終わらない梅雨のため、川の流れが速すぎて、危険だと判断されたようなんです。
でも、この神輿の川渡りはお祭りのクライマックスと言っても良い見どころ。
中止にするかどうかでもめているようでした。
それなら
「形だけ川に入り、深い流れの部分には入らずまた岸に上がり、
後は他の行列と同じように橋を使って渡御する」
という風に変更してもいいじゃないかと思いますが、
そうはいかない事情があるんです。
お祭りは、住吉大社のお祭りですが、
大和川を挟んで北側は「大阪市の信者」が、南側は「堺市の信者」が、
それぞれ神輿を担ぐということになっているようなんですね。
川は南側……堺市側の方が圧倒的に深く、流れもきつくなっています。
だから、「形だけの川入り」とするならば、
大阪側だけが形だけ川に入り、堺市側の男衆は見ているだけということになります。
大阪の男性って勇壮であることを好む人がまだまだ多いんですよね。
「大阪側が川に入るんなら、そら〜堺も入るわなぁ」
「んだんだ、そら当然や、堺だけが入らんかったら恥や」
と、揉めてるわけです。
40分ほど膠着状態が続いたでしょうか。
川岸のどちらからともなく、大きな拍手があがりました。
次いで、大きな歓声。
どうやら、
「川渡敢行」
と決まったようです。
むちゃくちゃ嬉しそうだったなぁ、堺側の男性たち(^−^)
大阪側から神輿は川に入ります。
神輿が川の中州に到着すると、
堺市側から、代表の男性たちが川を渡ります。
そして、神輿の出迎えをしているようです。
橋の上から神職さんが、祝詞などを奏上され、神祭りがおこなわれます。
神祭りが終わると、堺市側の男衆は一斉に川の中へ。
神輿を大きく持ち上げて、
川を渡り始めます。
大阪側に比べて、堺側の男衆は人数がかなり少ない。
川は深く、流れが急なので、神輿はときに流されそうになります。
見ている私たちもハラハラしてきたころ、神輿は岸へと到着しました。
川原へ上がって、
大きくばんざい!!
隣で、単純……もといとても素直な旦那は大感動していました(笑)
この日、PLの花火大会で渋滞が始まる前に家に帰りたかった私たち。
川を渡るかどうかでもめたこともあって、ここでタイムアップになりました。
行列はこの後、頓宮へ行き、舞踊などが奉納される予定となっています。
すべてを見ることはできませんでしたが、
神輿を担ぐ男性たちの、
「大阪には負けられへん」「堺には負けられへん」
という意地の張り合いは、
「いかにも祭り」
という気がして、なんだか楽しくなりました。
危険をおして、川を渡ることには、異を唱える方もおられると思います。
「無理をするのが正しいとは思わない」
などと。
正論です。それは正論です。
でもね、もし、こういう無茶をする人がいなかったら、
世の中はもっと面白くないものになっていたと思います。
こういう、無理をする人がいるからこそ発達した文化もあったはず。
私はそういう「無茶な奴」が愛おしいと思います。
「自分はそうはなれないかもしれないな」
とは思いますが、「好きだな」とは思うんですよね(^^ゞ
住吉の夏祭り。
これからも、勇ましい祭りであり続けて欲しいなと思います。