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久々知須佐男(くぐちすさお)神社

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  祭  神:須佐男命
  説  明:この神社は、源(多田)満仲公が、天徳元年(西暦1617年)
       に建立された神社です。
       伝説によりますと、この神社にある矢文石から、多田満仲公が
       射た矢が、池田五月山の遥か向こうまで飛んで行き、ついに、
       九頭の大蛇の頭を射ぬいたとあります。
       この大蛇は、九頭の明神として、崇め祭られたのだそうですが、
       この大蛇の血が引いた跡が、多くの田のようになっていたため、
       この地を「多田」と名づけたのだそうです。
  住  所:兵庫県尼崎市久々知1丁目
  電話番号:
  ひとこと:この神社は、尼崎の近松公園の西に接しています。
       尼崎は、近松門左衛門に縁の深い土地なのだそうです。
       近松といえば、心中物というイメージがありますが、近松の時
       代(18世紀)は、心中事件が多発した時代でもあります。

       ラフカディオ=ハーンの「知られざる日本の面影」には、「心
       中」という一文があります。

       原題は、「shinju 」つまり、心中の英訳語がなかったのです。
       ハーンは言っています。日本人ほど生を愛するものはいない、
       死を恐れぬものはいない。彼らは、仏教で自殺は大罪とされて
       いるにも関わらず、一緒に死ぬことによって来世で結ばれるも
       のと信じている。

       自殺は大罪という知識・意識はあるのに、一緒に死ねば、来世
       で結ばれると信じる矛盾、それを、彼は、愚かなことだとは、
       言っていません。二人の辞世の句をして、「愛の歌です」と、
       言わせているのです。

       さて、目線を変えて、18世紀の心中者に対する、掟の厳しさ
       をご存知でしょうか?心中した死体は家族には引き取らされず、
       野良犬や野鳥に食い荒らされました。
       そして、万が一、片方が生き残ってしまった場合は、さらし者
       にされ、身分を剥奪されてしまうのです。

       こんな厳しい沙汰があったのにも関わらず、なぜ心中がそんな
       に多発したのでしょう。
       現世で結ばれない恋愛がたくさんあったということなのでしょ
       うね。

      「心中天網島」の紙屋治兵衛と、小春の場合は、もっと複雑です。
       なぜなら、治兵衛の妻・おさんは、二人が結ばれることを望ん
       だからです。おさんは治兵衛を愛していましたから、小春に治
       兵衛と別れてくれることを頼みます。そして、小春はおさんと
       おさんと治兵衛の子供達の為に、離別を実行します。が、その
       後に、おさんは、治兵衛から、「小春は、治兵衛と別れる時は
       死ぬ時だとずっと言っていた」ということを聞いてしまうんで
       す・・・。
       この物語は、おさんと小春の女の仁義の物語であると言えるか
       も知れません。治兵衛は、あっぱれな女二人に愛される人物で
       あったのでしょうが、結局は、女二人の意志に翻弄されたに過
       ぎない人生でした。

       太宰治の「おさん」の女主人公は、「女房の懐には、鬼が棲む
       か蛇が棲むか」と心で歌いながら、「ひとを愛するなら、妻を
       全く忘れてあっさり無心に愛してやってください」とひとりご
       ちるのです。

       こういう女(特に妻側の女性)の気持ちの複雑さを描き切るの
       が、近松であれ、太宰であれ、男性だということが、おかしい
       ですね。
       女性が描いたら、皿30枚ほど投げつけて慰謝料ぶんだくって、
      「はい、さいなら」になるのかも知れない。

       さて、この神社の建立者、源満仲が倒した大蛇は、九頭もあり、
       祭神たる、須佐男命が倒したのは、八頭。満仲の方が一枚上手
       ですね。      

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