祭 神:玉祖命 説 明:式内社で、玉祖明神とか、高安明神ともいう。高安十一ケ 村の氏神で、和銅三(710)年、周防国から分霊を勧請し たもので、祭神は櫛明玉命である。 この地に玉造部の人々が住んでいたので、その祖神をまつ ったものであろう。 寺宝も多く、北条時政の制札(重文)、男女神像(府重美)、 樟樹(府天然記念物)、豊臣秀頼寄進の石灯篭などがある。 神社の北方を東西に十三街道が走り、大阪の玉造に通じ、 玉祖、玉造りの地名から、この街道のもつ意義は大きい。 八尾市教育委員会」 住 所:大阪府八尾市神立字宮山 電話番号: ひとこと:むっちゃくちゃ細い坂道を登ります。車で?あ、行けます。 ちゃんと駐車場もあります。が、途中で方向転換するのは、 至難の技じゃないでしょうか。助手席でへらへらしていた 私には、はっきり言えませんが。 途中、ハイキング姿の集団を2・3組見かけました。 「ちょっとした登山」のつもりで行かれたほうがよいかもし れません。 十年以上ぶりに再訪したところ、道が広くなっていて、た くさんの家族連れが訪れていました。 また、境内も綺麗に整備され、たくさんの鶏が遊んでいま した。 常世の長鳴鶏とのこと。 説明を転載しておきますね。 「常世の長鳴鶏 この鳥は天の岩戸神事の時、岩屋戸の前で鳴かせた鳥です。 この神社の御祭神玉祖の命は、天照大神が天の岩屋戸に籠 られ、日本中が真っ暗に成り、天照大神、外にお出ましい ただく為、夜が明けたとお思いになる様、この長鳴鶏を鳴 かせました。それにより、玉祖の命が代々大切に長鳴鶏を 飼われています。 十一代垂仁天皇の御世、恩智の神様と玉祖の神様は、氏子 争いは止め、朝一番に起きて、互いに出会った所で、氏子 の境界にしましょうと話し合った所、玉祖の命の長鳴鶏が 早く鳴き、高安の垣内の所に鉾を立て、冤罪に至ります」 とはいえ、日本書紀、古事記、さらには先代旧事本紀でも、 長鳴鶏を鳴かせたのは、思兼命です。 では玉祖神は何をされたかというと、古事記では、玉祖命 は勾玉をつくったとあります。 日本書紀一書(第二)では、豊玉神が勾玉をつくる役割。 一書(第三)では、天明玉命。 先代旧事本紀では、櫛明玉命ですね。 豊玉神も天明玉命も櫛明玉命も、玉祖神と同一神とされ ますが、本来は別だった可能性もぬぐい切れません。 とにかく、長鳴鶏と玉祖神の関係性は、記紀神話には言及 されてないんです。 恩智神と玉祖神の話しは住吉神に土地を譲ってほしいと頼 まれた際、玉祖神は断り、恩智神は快諾したなんて話もあ りまして、どうやらこれは「河内国高安郡玉祖大明神之縁 起」や「恩智大明神縁起」にあるようですね。 境内で飼われている鶏は「長鳴鶏である」と説明されてい ましたが、日本で長鳴鶏と呼ばれているのは、東天紅・唐 丸・声良の三種だそうで、姿を見る限り、玉祖神社で飼わ れているのは唐丸のようです。