祭 神:後醍醐天皇 楠正成公 吉水院宗信公 説 明:後醍醐天皇と、忠臣、楠正成公・吉水院宗信公が祭祀されて おります。 延元三年(西暦1336年)京の花山院より免れた後醍醐天 皇は、吉野に御潜幸になり、この神社を南朝の行宮とされた とあります。 また、創立は、役行者によるのだそうです。 住 所:奈良県吉野町吉野山 電話番号:07463−2−3024 ひとこと:なにしろ、幾多の歴史を見つめてきた神社です。 兄に追われた源義経が、弁慶と共に、奥州へ落ち延びられる 前の束の間、愛妾・静御前と過ごされたのがこの神社です。 「吉野山 峯の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき」 そして、南北朝対立の時、後醍醐天皇が憂悶の日を過ごされ、 ついに崩御されたのもこの神社です。 「花にねて よしや吉野の吉水の 枕の下に石走る音」 この、もの悲しい神社の歴史を塗り変えたのは、太閤秀吉で しょう。 文録三年(西暦1594年)数日に渉って生だいな花見の宴 をぶち挙げました。 「年月を 心にかけし吉野山 花の盛りを今日見つるかな」 悲恋の佳人と悲運の天皇はこの大騒ぎをどんな気持ちで見て いたことやら・・・。よい気分転換になっていればよいので すけれどね。 「う〜〜る〜〜さ〜〜〜〜〜い!!」 や、 「眠れんやんかいな!」 でないことを願うばかりです。