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赤淵神社

akabuchi




  祭  神:大海龍王神 赤渕足尼神 表米宿禰神
  説  明:境内案内板を転載します。
      「赤淵神社の祭神は、大海龍王神・赤渕足尼(あかぶちそこひ)神・表米宿禰
      (ひょうまいすくね)神の三神です。赤渕足尼命は表米宿禰命の祖網です。
       神社略記によると大化元年(六四五)、表米宿禰命が丹後白糸の浜に来襲し
       た新羅の賊を討伐した際、沈没しかけた命の船が、海中から浮かび上がった
       無数のアワビに助けられたので、命はそのアワビを持ち帰り、赤淵神社に祭
       ったとされています。
       大海龍王は海神で、アワビを使い難を救う神であるといわれています。
       その後、赤淵神社の祭礼にはアワビの神事が行われ、近隣では今でもアワビ
       を食べない風習が残っています。」
       
       境内石碑にある文言を転載します。
      「仰 赤淵大明神 人皇始以来第九代開化天皇御代也。
       是時皇子四道将軍祀彦坐王 是粟鹿大社之流也。彦坐王為但馬国造子孫代々
       国造而 司神事執行政務開拓国土割治水振興農業以愛民生偉業烈烈恩澤普及 
       自是営一祠祀歴代国造赤淵大明神是也
       号日下部表米宿禰命 赤淵宿禰五世孫而忠功有奏聞 丹後丹波但州 三箇国
       可為守賜宣使本国也
       因応所窺見給枚田郷内高山麓淵有之淵尋赤淵云 平城守東向赤淵代明神奉祝
       之宮也 赤淵神社合祀久世田庄勘納岡表米明神奉祝 然而惣名日下部姓始祖
       神表米御子在所分附給 朝倉 絲井 奈佐 日下 八木 本山 太田垣 宿
       南 姓是也 属者尊崇殊厚是皆在所名也 日下部表米流丙与継為子孫不依上
       下男女可奉仰 昭和四十五年三月二十七日赤淵神社為国重要文化財 枚田郷
       赤淵神宮司佐宗比同郷地頭枚田氏始氏子連之厚恩奉謝 茲末裔氏族考証家伝
       記念之建碑伝永世者也
              昭和四十五年十月吉日」
  住  所: 兵庫県朝来市和田山町枚田上山2115
  電話番号:
  ひとこと:いや、別にいいんですけどね(^^ゞ
       石碑が建てられたのは昭和四十五年ですよ。
       
      「伝永世者也」っていうんなら、もっと平易な文章にして欲しかった(^^ゞ
       
       とりあえず、但馬国造は彦坐王の子孫で、日下部氏の始祖である。
       そしてまた、赤渕足尼命も彦坐王の子孫である、と。
       ……石碑にはそういうことが書かれているようですね。
       
       しかし、興味深いのは、新羅軍が襲ってきたのが大化元年ということです。
       大化の改新が、歴史の教科書にあるように、天皇による豪族討伐であるとす
       るなら別ですが、現朝廷による蘇我氏王朝へのクーデターだとすれば?
       
       なぜその年に新羅が、ここ、朝来へやってきたのかと考えてしまいます。
       
       日下部氏は、浦嶋太郎を輩出した「海の民」と考えられる人々。
       もしかしたら、縄文時代から日本にいた、海洋民族かもしれません。
       
       蘇我氏は多分、弥生人でしょうね。
       でも、彼らがいわゆる「まつろわぬ民」を束ねていて、そのうちひとつに、
       日下部氏がいたと考えればどないでしょ?
       
       新羅軍がやってきたのは、現朝廷への援軍……とも考えられるかもですね?
       考えすぎでしょうか?
       
       しかしそれにしても、神使いがアワビとは面白い(笑)
       猿田彦は比良夫貝に手を噛まれて溺れたとしますが……。
       昔の人にとって、貝はどんな存在だったのでしょうか?
       
       あの閉じられた固い殻の中に、いったい何があると考えていたのだと思い
       ますか?
       
       大国主は八十神たちに殺され、蚶貝姫と蛤貝姫に助けられていますよね?
       貝は、一種生命力の象徴だったのかもしれません。
       
       ただ行動は遅そうだけども(^^ゞ
       
       特に、アワビは内側がキラキラ光ってるでしょ?
       ポリネシアの装飾品には、アワビの内側(アバロンシェル)を使ったもの
       がたくさんあります。
       
       もしかしたら……ですが、助けてくれたアワビとは、アワビを装飾品とす
       る人々だったのかもしれません。
       
       とすればやはりこれは、海洋民族による新羅軍討伐の物語だと思うのです
       が、どうでしょうね(^^ゞ?

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