祭 神:建速産霊神 光厳天皇 武乳速命 天相命興登魂命 天児屋根命 天忍雲命 天種子命 宇佐津臣命 巨狭山命 雷大臣命 天見通命 大川橋命 意富乃古連 真人大連 大御食津臣命 伊香津臣命 梨跡臣命 臣聞勝命 久志宇賀主命 大鹿鳴命 鯛身命 巨知人命 大江命 弟子巨命 御身宿弥 阿麻比古卿 賀麻大夫公 黒田大連 伊礼波連 御食子大連公 糠手子大連公 許米朝臣 鎮足大連公 垂目連 武智麿卿 宇合卿 巨勢麿朝臣 安比等朝臣 長人朝臣 豊人朝臣 常盤大連公 方子大連公 国子大連公 金大連公 大嶋朝臣 久多大連公 不比等卿 房前卿 麻呂卿 真楯卿 国定卿 東人朝臣 広見朝臣 豊足朝臣 清麻呂卿 説 明:案内板を転載します 「当神社ハ祭神五十八柱ヲ奉斎シ、天川命神社ト称ス。 建速産霊神(の)父ノ御名天川命ヨリ世々相承ケ清麻呂ニ至ル五十八代にして就中興登魂命ハ乃 チ中臣藤原二氏の祖神。また伊香津臣命ハ乃チ本郡創始の神ナリ。 太古天川命此地ニ天降ラセ給ヒ、其神孫伊香津臣命・梨跡臣命、荒原ヲ開拓シ、人民繁栄シテ本 村を為ス。祖神天降リノ地ナルヲ以テ、天降里ト称セシヲ後世雨森ト改称スルニ至ル。 往昔ヨリ伊香郡ノ総社トシテ神徳弥高ク遠近ノ尊崇ヲ集メ祭祀隆盛ヲ極メ由緒深淵ナリ。 正慶二年五月、足利高氏六波羅ヲ破レルニ因リ光厳天皇ニ皇子ト共ニ内大臣正親町公秀以下ノ公 卿御陪従ニテ当地に落チ給ヒシヲ当地ノ民当社ノ神殿ヲ仮行在所トシテ迎エ、御難ヲ避サセ奉ル。 是ヲ以テ一帝ニ皇子ノ像を彫刻シ、御相殿ニ奉安シ、本社ヲ王三座ノ御社ト称ス。 公秀居住セシ社前の地名ヲ中納言屋敷ト謂ウ。因ニ云。讃岐国鵜足郡造田村鎮座天川神社ハ国史 現在ノ旧社ナレ共、本社ノ御分類ト云伝フ。 例祭 四月十三日 境内八幡神社 祭神応神天皇」 住 所:滋賀県長浜市高月町雨森1185 電話番号: ひとこと:興登魂命は己己都牟須比の別表記。 天児屋根命の父神です。 つまり、この神社は藤原氏の祖神をズラリと祀っていることになります。 そしてその中の一人である伊香津臣は、この地を開拓したか身であると……。 伊香津臣といえば、木之本町に鎮座する伊香具神社でしょう。 この地に伝わる伝説では、彼は天女の羽衣を盗んで彼女を妻としています。 二人の子が菅原道真。 気になるのは、菅原道真といえば藤原氏が目の仇にした秀才なのに、藤原氏の祖先である伊香津臣 の子であるとなっていることでしょう。 そしてもう一つ、伊香津臣と音が同じで同じく藤原氏系の、「中臣烏賊津(なかとみのいかつ)」 の存在です。 彼は允恭天皇の家臣で、皇后・忍坂大中姫の妹である衣通姫を迎えに行くことを命じられます。 衣通姫は姉を思いやって、「私は天皇の妃になりたくありません」と断るのですが、烏賊津は粘り ます。 姫の家の前に寝転がって、「死んでもここを動かない」と宣言するのです。 「死んでも動かない」は、皇后大中姫も実行されています。 允恭天皇が病弱を理由に即位を拒んだときのこと、天皇の座が空白であることが続いたため、世が 乱れるのです。 そこで皇后は「どうか即位してくださいませ」と大きな盃に水を一杯に入れて捧げ持ち、ピクリと も動かなかったのです。 折しも冬のことであり、腕をこぼれ落ちる水を冷たい風が冷やします。 息絶え絶えとなった皇后を見て、允恭天皇は即位を決断するのでした。 それに比べて烏賊津のやり方は卑怯です。寝転がったまま動かず、衣通姫が観ていないときにこっ そりご飯を食べていたというのだから、ただゴロゴロしてるだけやん……。 天皇のために連れていくのと、自分の妻にするのでは少し違いますが、美女を卑怯な手で騙すとい う点で、烏賊津と伊香津臣はそっくり。 そしてもう一つ。 「イカツ」は「雷」でもあります。 藤原氏の氏神である「春日大社」の祭神に「武甕槌」がいることと、無関係とは思えない。 「ミカヅチ」は「御雷」ですからね。 「イカツ」と呼ばれる人物にモデルがいたとしたら、持統・元明・元正天皇たちは、彼のことが大っ 嫌いだったと思うでしょう? でも、不思議です。 まったく同名の人物が、神功皇后の側近として登場するんです。 仲哀天皇が崩御した後、神功皇后は再び神降ろしの儀式を行います。 仲哀天皇が亡くなるきっかけとなった神降ろしでは、 巫女役=神功皇后 琴演奏=仲哀天皇 審神者=武内宿禰 でしたね? 仲哀天皇崩御後の神降ろしでは 巫女役=神功皇后 琴演奏=武内宿禰 審神者=中臣烏賊津 仲哀天皇の代わりが武内宿禰だというのも意味深ですが、武内宿禰の後釜が中臣烏賊津というのは、 どういった人事でしょう。 いやはや気になる(笑) それにしても、この地に藤原氏と関係の深い神社があることが、気になるのです。