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天稚神社

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  祭  神:天雅彦命
  説  明:境内案内板を転載します。
      「一、御祭神
       天雅彦命
       二、例祭十月十五日
       三由緒、特殊神事他
       室町時代初期・貞治年間(一三三○年頃)世木一の宮として創建された記録がある。(あかりをつなぐ記録誌)、古文
       書の応永二十九年(一四二三)一月八 、鳥居建設のため、一、一〇〇余人荘内各村より出役の人足を記す文書がある。
      (船井郡神社誌)その後、弘治元年(一五五五) に火災により社殿が消失したが、永禄元年(一五五八)に再建されている。
       また、寛保三年(一七四三) 舟州舟井世木庄内一の宮・天稚大明神として造立されている記録がある(寺社類集)。
       御鎮座については、寛延戊辰(一七五〇年頃)・願主吉田知奥の古文書に「此の世木之荘未開の時に、向日之厳上
      (通称行者岩)に神霊降臨有り、夜毎に大光を放つ、故に村古老集まり神庭を設け、祓い清め神楽を奏した処神託有り
      (吾は往古此の国を発したる天雅彦なり、吾を祭らば年穀豊穣にして荘内久しく保つであろう。吾を鎮祭する所には世
       に久しき木を生ず、果たして一夜に杉三本生ず。)とあり、世木之荘世木村とは此の事より名付けられ、古くより世
       木之荘一の宮として広く崇敬をあつめている。
       また、天保六年(一八三六)社僧・禪傳が天稚神社由来記として書き残した古文書に「・・・・・略・・・・天稚彦命、
       国々をひらき摂津国より見遣い給へば、あかき波之立ちて路有り、国なさんとおほしてかかる所にうつり奉る時、水
       泥満ちて土地の形なし、命(みこと)神力を以て下垂を掘りさぐり水をはしらせければ、自然と山河分かれ、形をな
       し、草木生え奉りしかば、命わたりて見そなはしける程に、能国からとて人民を移し、治めたまふ。波なみのあかく
       立てしにより国の号を丹波と付しとぞ。故に此土地いずれも赤くして山谷多しとかや。
       是等の趣によりて天雅大明神は此国の守護神として歌(おごそか)にまつりたまふといふ。」とある。国内では天雅彦
       を御祭神とする唯一の祖社で、上天若の小雨若神社と、京北熊田の天稚神社の二分社のみで特筆すべきことである。 
       昭和五十一年社務所全焼するも再建される。平成に入り日吉ダム建設に伴い神社並びに氏子も各地へ移転、平成三年
       十一月三日、殿田向山の遷座地において盛大に御遷座奉祝祭を執り行う」
      「天雅彦章子〔室町時代〕
       日本の七夕物語と言える内容で、彦星に相当する男性が天雅彦命、織姫に相当する女性は長者の末娘となっている。
       長者の娘に大蛇が求婚する。上の娘二人は死んでもいやと断るが、末の妹は承知しました。末娘が大蛇の頼みで、そ
       の頭を斬ると立派な若者となり、我は天稚御子と名乗った。二人は幸せに暮らしますが、ある時天稚彦命は天に昇り、
       その時に唐櫃を娘に渡して、これを開けると帰って来れなくなると告げた。
       裕福な暮らしを妬んだ姉たちが押しかけ妹から唐櫃の鍵を奪い取り、力ずくで開けてしまった。やがて約束の日が過
       ぎても天稚彦命が帰って来ないので、娘も夫を探しに旅立ちました。
       首尾よく再会する事が出来たのであったが、天稚彦命の父親は恐ろしい鬼で、色々な試練を受けることになったが、
       娘は天稚彦命の呪いを解くまじないにより切り抜け、とうとう二人は父の鬼に許されて、年に一度・七月七日の夜に
       逢瀬を楽しむ事が出来るようになりました。
       宮の頭(宮の塔・みやのとう)
       天種神社の一年間の一切の神(行) 事を司る世話役のことで、氏子の沢田・ 大林から一名の職人が神社社務所で選ば
       れまた、有村では地区の神事や行事を司る一名の職人が会議所で選ばれ、いずれも毎年一月十五日に交替の儀式が行
       われた。
       年長者より順次若い者に回る氏子にとって一生に一度のハレの舞台である。儀式の後、自宅でを招いて盛大な実を催
       す。この宮の頭は日吉ダム建設に伴い途絶えたことが惜しまれる」
  住  所:京都府南丹市日吉町殿田向山23
  電話番号:
  ひとこと:私が参拝したのはもう夕方近くでしたが、神職さんと思わしき方が、境内の掃除をしておられて、少しだけお話をう
  かがうことができました。
       神職さんによれば、おとぎ草紙にある天稚彦物語の舞台はこの神社だと言われているとか。
       
       ただ、
      「何かの文書に載っているのですか?」
       と聞いたら、
      「マニアの人がここやと」
       ってことでした(^^ゞ
       
       とはいえ、天稚彦とは、「天人のように素晴らしい若い男性」という意味でしょう。
       記紀神話の天稚彦とは別の天稚彦がいてもおかしくない。
       
       ここ南丹市の天稚彦は、記紀神話とは関係のない神様じゃないかって気がします。

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