祭 神:丹生大明神・高野大明神 久爾津神 稲荷大明神 説 明:境内案内板を引用します 「青賀原神社の丹生大明神は桓武天皇の延暦三年九月十四日、紀州かつらぎ 天野の里 からこの地に奉還安置されたもので、この神は天照大神の弟神である月読之尊(月の 神)と伝えられている。 この丹生大明神は空海(弘法大師)と関係深く、空海が高野御開発まじかにあった頃 泉州槇尾寺に向かい、下里谷の茅原を通行中のことである。急に黒雲が舞い下り、天 地が鳴り響き、道端の澤より頭九つの大蛇が出現、火を放って空海に飛びかかった。 空海は衣の袖で大蛇を振り払い、不思議な念仏を唱えると、黒雲の中から白と黒の犬 を連れた狩人(身の丈八尺)が現れ、矢の先が千筋に分かれる弓で大蛇を退治した。 空海はこの狩人に『汝は何人ぞ』と聞けば『我は一字金輪(仏頂尊)なり、空海宗祖 の御命を助けるため丹生大明神に化身し出現した』という。 この狩人こそのちに空海を高野山に導いたとされる狩場明神(高野明神)である。 丹生大明神は大蛇の死骸に大力をもって土をかけ、墓を築くと、その姿を消した。空 海はこの墓を『九頭神山』とし『南無阿弥陀仏』と念佛を唱えたことから、この場所 を南無阿弥陀仏(なはいだ)として今なおその地名を残し、大蛇と共に語りつがれて いる(下里村丹生大明神・九頭神山由来記 要約) なお、青賀原神社創建は平安後期の治承四年四月十六日と伝えられ、現在の本殿は、 江戸初期(推定)に造営されたもので、祭神は丹生大明神・高野大明神・久爾津神・ 稲荷大明神と伝えられている」 住 所:大阪府河内長野市下里町青ヶ原933 電話番号: ひとこと:九頭龍神は、このあたりの神社の多くで祀られています。 摂社・末社の中でも、特に大きく祀られているように思われます 和泉市春木町鎮座の春日神社にも九頭龍神が祀られているのですが、神職さんにうか がったところ、空海に退治されたという伝承はなく、むしろ九頭龍神は水の守り神、 田の守り神として信仰されてきたとのこと。 祠ももとは山の上にあったそうです。 たしかに、大阪府南部は雨が少なく、水の神様がたくさん祀られています。 春日神社境内にも、空海が一冬籠ったという伝説のある冬堂宗福寺があったとか。 空海は、香川の満濃池を作ったことで知られる土木の天才でもありますからね。 そういう目で見れば、青賀原神社の伝承も、九頭龍神を退治したというより、九頭龍 神の力を顕現させた、つまり水を得たことの寓話化とも思えます。 ただ、九頭龍神については、非常に複雑なんです。 和泉市に父鬼という土地があるのですが、「父」があれば「母」もあるはずでしょ? 母鬼が住んだのは現在の河内長野市神ガ丘。 ほんの少し前までは鬼住村と呼ばれる土地だったそうです。 そしてそこには延命寺が鎮座。 弘仁年間に、弘法大師が、自ら地蔵菩薩を刻んで本尊としたのがこの寺の始まりと伝 わっています。 延命寺のしおりには、 「当地は昔、『おにしみ』と呼ばれ、平安朝には『小仁深』の字を当てているが、中古 になると『鬼住』の文字を当て、泉州の父鬼に血して母鬼が当地に住んでいたという 伝説が生まれた。鬼の盥、鬼塚があり、鬼退治の弓箭がある。鬼を退治した九家主は、 後に九頭神(くずがみ)と崇められ、退治の場所を九頭神の森と名付く、中世鬼住の 名を忌んで『小西見』と書いたこともあったが、最近まで鬼住であった。昭和29年に 至り『神が丘』の地名に変わった」 とあります。 九頭神……ということで、「龍」の一文字がないんですけど、河内長野市から和泉市 にまたがって、「九頭」「鬼」「弘法大師」がからみあってるのが興味深いと思いま せんか? 不思議なことに母鬼は父鬼を嫌い、二人の住む土地の間に桃をたくさん植えたとか。 それが桃坂峠とも言われています。 九頭龍が水の守り神としたら、鬼とはいったい何か。 興味深いですね(≧▽≦)