祭 神:日子坐王 説 明:兵庫県神社庁の説明を転記します。 「和銅元年(708)に祭神や歴代祭主などを詳細に記した粟鹿大明神元記の写本が残る(宮内庁所蔵) 当社は但馬国最古の社として国土開発の神と称す。国内はもちろん、付近の数国にわたって住 民の崇敬が集まる大社であり、神徳高く延喜の制では名神大社に列せられた。 人皇第10代崇神天皇の時、第9代開化天皇の第三皇子日子坐王が、四道将軍の一人として山陰・ 北陸道の要衝丹波道主に任ぜられ、丹波一円を征定して大いに皇威を振るい、天皇の綸旨にこ たえた。 粟鹿山麓粟鹿郷は、王薨去終焉の地で、粟鹿神社裏二重湟堀、現存する本殿後方の円墳は王埋 処の史跡である。旧県社。 瓶子渡し(特殊神事10月17日) 当人二人は松を挿し、雄蝶・雌蝶の折熨斗に野橘を神酒口とする木製の瓶子を持ち左右に構え、 当頭ら二人は木製の階上、階下に分かれ、当頭は日の丸の扇子。下の者は神饌(稲・茄子・御 陵柿)の三方を持ち、当頭の「さあござれ」の掛け声に、下の者は「さあ」と言いながら三方 を当頭の手と反対の方向に差し出す。 狂言のような遣り取りをしながら十数回差し違えた後、両者の手が合ったところで三方を当 頭に渡し、瓶子と共に本殿に納めるというもの。 「さあござれ」「ヘンジワタシ」ともいう。 住 所:兵庫県朝来市山東町粟鹿2152 電話番号: ひとこと:立派な勅使門や山門、随神、狛犬があり、それらの説明は丁寧にされていたのですが、なぜ か神社自体の由緒がどこにもなく(^^ゞ 日子坐王は四道将軍のうち丹波に派遣された丹波道主命の皇子ですから、このあたりで祀ら れていても不自然はありません。 彼の妃の一人が狭穂姫につながる闇見戸売なので注目はしているのですが……。