祭 神:天兒屋根命 説 明:案内板から引用します 「江須崎には、明治の神社合祀によってできた春日神社があります。また、それ以前より海の 神としてまつられてきた江須崎神社もあります」 和歌山県神社庁の説明を引用します。 「鎮座の年代は詳らかではない。 紀伊続風土記によると「春日明神社 村中にあり 江住・見老津二箇村の氏神也(略) 天正四(1576)年九月の棟札に其の時の領主周参見弥十郎諸役見路津三分之一支配也と記せり 今に至りても造営修復等は雑費見老津三分一支配すといふ、或はいふ村の旧民城四郎左衛門の 先祖藤氏なるを以て鎮守に祭れるを村民信仰して終に氏神とす」とある。 往年より村中の社を本社とし、江須崎に鎮座する春日社を併せて江住・見老津の氏神として来 た。 明治6年4月、村社春日神社となる。 同40年4月、神饌幣帛料供進社に指定。 42年6月、一村一社の神社合祀により村内の神社8社を合祀(見老津の金毘羅神社・地主神社・ 弁天社・戎社、江住の春日神社、浜地・西地の戎社、里野の八幡神社)の後、改めて江須崎の 現社地に御遷座された。 江須崎は古来、枯木灘の象徴、神の御崎として神聖視され、海上交通に携わる人々からは難所 枯木灘の守り神として、江洲崎明神、春日明神と崇められ、また江須崎さんと呼ばれて親しま れて来た。 境内には江戸時代に菱垣廻船の船主等の奉献した往時の石灯籠が残されている。 (社叢) 江須崎は標高36m、周囲3㎞、面積7万㎡の本土と砂洲でがった陸繋島で、真南に枯木灘に突出 する名勝であり(熊野枯木灘海岸県立自然公園)、その中央に春日神社が鎮座する。 全島神域として不伐・禁猟とされて来たため、原生林が鬱蒼と茂り森厳な境内は神寂びる。 「江須崎島暖地性植物群落」として国指定天然記念物となっている。 (枯木灘―呼称の由来) 由来は江須崎先端に繁茂する柏槙の樹皮が剥離し白い木肌を見せて絶壁上に屹立する姿が、沖 の船上からの遠望では、あたかも枯れ木のように見えることからの呼称とされる。 (例祭) 本社神前、境内社の金毘羅神社神前に幣の舞、剣の舞、花懸かり等の獅子神楽が奉納された後、 屋台が繰り出され境外社の戎社前で幣の舞を奉納して、地下廻しに向かう。 昭和40年頃迄は雄獅子、雌獅子に分担して地下廻しを行っていたが、以降は新築の家、希望す る家での幣の舞奉仕になっている。 現在、獅子神楽は「獅子舞保存会」の献身的な活動によって後継者が育成されている。 子供獅子舞が奉納され、子供神輿も出て伝統行事が継承されている。 なお江住区では投餅を行っている。 (新春厄払い) 厄払いの餅撒き行事。 厄年を迎えた氏子、当地出身者・縁者の厄払い祈願をはじめ、大漁祈願、海上安全、交通安全、 商売繁盛、無病息災等を祈願して神前に供えられた数十桶の餅が社務所下の広場で一斉に撒か れる。 餅は福餅として喜ばれ、特に大振りの鏡餅を手に入れんと競い合う餅拾いの人々で大いに賑わ い活況を呈す。 なお江住地区は遥拝所にて1月13日に行っている。 (初えびす) 1月10日、各戎神社で神事・餅撒。 (初金毘羅) 1月10日、金毘羅山で神事・餅撒。」 住 所:和歌山県西牟婁郡すさみ町江住155番地(江須崎) 電話番号: ひとこと:島全体が聖地とのことですが、歩いていると、ねじれたように見える樹がたくさんあり、 「コリオリの力?」 と気になってました。 ある友人曰く、蔓植物による締め殺しの跡ではないかとのこと。 蔓の方が強ければ樹木が死んでしまうので、蔓植物は人の手で取り払われるのですが、跡が 残り、さながらねじれたように見えるんだとか。 島全体が優しい湿り気を帯びていて、女性の雰囲気が漂っていました。