shigoto

舩井神社

funai

funai

腕守神社






  祭  神:住吉神(底筒之男・中筒之男・表筒之男)  春日神(武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神)
  説  明:ご由緒書を転載します。
      「神功皇后の三韓征伐の時、住吉明神に守護を祈られたところ、住吉明神が現れて御船を守護し、海路つつがなく航
       海出来た上、三韓征伐も成功したので、凱旋後、神功皇后はこの地に住吉明神(舩井神社)を祀った。(『和名抄』)
       とある。
      「ここより北西五百米の地、二十町堰道近くに「オコノモリ」と称える塚ある。「瀛居の杜」「太古の杜」とも書く。
       ここは曽て大樹が繁り、舩井神社前身の住吉神社が鎮座していたと伝えられている。「舩井神社の「舩井」の名称
       は、大堰川を用材を積んで京へと下る船の停泊地であるという「船居」 に由来する。(「舩井神社・・・・凡船舶
       之所謂之船居」『大日本史神祇志』)
      「日郡名の「船井郡」もこの神社に由来すると言われている。大堰川の清流近く舟運の守り神として祀られるととも
       に、船枝村、清谷村、室橋村、美津村、畑中村、諸木村、野条村の産土神でもあった。大堰川の氾濫により、文武
       天皇の御宇、慶雲二年(七〇五年)に此の地「鹿野杜」へ遷宮と伝える。
       仁和三年(八八〇年)大地震のため、社殿崩壊し、安和二年(九七〇年)社殿を営殿す。その後、崇徳天皇の御宇、保
       安元年(一一二〇年)丹波国司三条宰相藤原家保卿、南都より春日四座の神を勧請してこの社に合祀される。
       祭神と御神徳
       この頃二百町歩もの田地や山林を所有し、境内も広大なもので、崇敬者は三千余戸あったという。 寛政六年(一七
       九四年)に拝殿再建される。 本殿は、天保三年(一八三二年)に焼失、天保六年(一八三五年)に再建されたものであ
       る。
       現本殿は天保六年(一八三五年)に再建されたものである。平成十七年(二〇〇五年)、遷座千三百年祭典を齋行する。
       境内の大杉や大極、大公孫樹に悠久の時の流れを、立派な本殿や拝殿に奉納されている左甚五郎作の金網に覆われ
       た絵馬をはじめ多くの絵馬等に古来新庄の郷の産土神として敬神崇祖のあつい思いの歴史を感じさせられる」
      「腕守社(かいなもりしゃ) ―鳥居西(左)側の祠
       腕守社には前九年の役で源頼義・義家親子に討たれた安倍貞任の腕を祀っている。
       奥の五輪塔は「腕」(かいな)守」と呼ばれ、貞任の腕が埋まっているという。貞任の魂が、自分の体を元に戻そう
       とすると、青い尾を引いた人魂(ひとだま)が東の方へ飛んでいくという。腕の痛みに効くとされ、昔は農作業で腕
       を痛めた人が、よくお参りに来ていたという。
       源氏の勢力が強かった船井郡には怨霊鎮魂を目的としたいくつかの貞任の身体を祀る場所がある。丹波の山並みを
       縫うようにして、ゆったりと流れる桂川。その中流辺り、京都市右京区京北から南丹市八木町にかけて、桂川の流
       れに沿うように、はるか奥州の地の豪族、安倍貞任(あべのさだとう)(一〇一九?~~六二)にまつわる伝説が残って
       いる。
       平安時代後期、朝廷は、自分たちから独立した勢力を持っていた奥州の豪族・安倍氏の征討を源義らに命じた。
       十一年間に及ぶ戦い「前九年の役」(一〇五一~六二)の末、一族の長だった安倍貞は「厨川(くりやがわ)の戦い」
       で戦死し、安倍氏は滅亡した。 貞任の亡きがらは朝廷に送られ、都の陰陽師の進言により「東西南北に川のある
       地」である「有頭(うつ)の地」(現・京都市右京区京北下宇津)に埋められた。しかし翌朝、日の出とともに貞任
       は生き返り、たたりをなした。そこで体を二分、三分としたが、やはり生き返る。最後は、体を七つ分けて埋め、
       下宇津八幡宮に貞任の霊を祭り、ようやくたたりは静まったという。「亡きがらを七つに切ったところが「切畑」、
       首を埋めたのが「貞任峠」。ほかにも、両肩と胴体は「高谷」、腰と両足は「人尾(ひとのお)峠」、足と手を埋
       めた「足手谷」など、下宇津周辺には貞任伝にまつわる地名が残る。中でも貞任峠にある「貞任の首塚」は歯痛
       封じの御利益があるとして、古くから地元で信仰を集めていた。下宇津から桂川を下ること約二十キロ。南丹市
       八木町にはここ舩井神社のほかにも、頭を埋めた久留守(くるす) 神社」(同町刑部)は頭痛に効く、などの伝承
       がある」
  住  所:京都府南丹市八木町船枝才ノ上51
  電話番号:
  ひとこと:阿部貞任の腕を埋めた祠があるということで、お参りしましたが、その伝承は、平将門の伝承と、非常によく似
       ているようです。
       
       御霊信仰は、平安時代のずいぶん初めからあったのかもしれません。

home 神社のトップに戻ります back