祭 神:大彦命 説 明:ご由緒記を引用します。 「延喜式神名帳所載の社、いわゆる式内社で、北陸一の古社。 祭神は大彦命。相殿に大山御板神社、祭神猿田彦命・孝元天皇・素佐嗚雄命を祀る。四道将軍 の一人大彦命は崇神天皇十年(前88)勅によってこの北陸道に遣わされ、その際逢山(王山) の峰に楯三枚を以て社形を成し、猿田彦命を祀り、国中安寧を祈り、成務天皇四年(134) 市入命が勅をうけ大彦命を舟津郷に奉斎したのが創りを伝え、前者が大山御板神社(上宮)、 後者が舟津神社(下宮)である。 延喜式神名帳では丹生郡、今立郡に分かれて所載するが、上宮が王山の上に、下宮が王山の東 方数町の所に位置し、両郡の郡境に比定される叔羅川(現・日野川)が往古は王山の東を流れ ていたことに依るとされる。寛仁三年(1019)下宮が火災に罹り、下宮を上宮に合祀。応 永二三年(1416)下宮が再建され、爾来上宮・下宮同殿の社となる。 中世には守護斯波氏及び朝倉氏の崇敬を受け、近世には社地は福井領であったが、享保六年 (1721)間部氏の鯖江入部以後はその祈願所ともなり、鯖江藩の産土神としても崇敬された。 寛保二年(1742)往古の上宮・下宮の中間地、王山の東麓に社殿が遷された。明治八年、 県社に列せられた。例祭は九月二十日。 背後に王山古墳群があり、国の史跡。本殿、赤鳥居、大鳥居は県指定文化財。社宝に市指定文 化財の大皮樽などがある」 住 所:福井県鯖江市舟津町1丁目3‐5 電話番号: ひとこと:ものすごくいい雰囲気の神社でした。 さて、この神社に参拝したきっかけは、角川書店の『日本の伝説』に、こんな一節があったか らです。 「大彦命は近江から敦賀へ出て、そこから兵船を催して海沿いに北上し、越前海岸のどこかに上 陸、丹生山地を越えて日野川流域へ出たものらしい。丹生郡の宮崎村に舟場という所があって、 そこが大彦命の着岸地だという伝説があるが、直線距離で鯖江から約八キロ、海岸線からは約 九キロ離れた山の中である。 舟場から平野部、たぶん武生市の北方あたりへ出たとき、一人の老翁に会った。命が「どこに 軍を休めたらよいか」と問うと、老翁は、「わが住む所がよい」といっていずこかへ立ち去っ た。 日野川に兵船を浮かべて進発しようとしていると、安伊奴(あいぬ)彦という者が下流から遡 ってきた。その手引きで、命は深江の舟津に船をとどめた。これが鯖江市の舟津だという。 うしろに小山があるので命が登ってみると、以前に会った老翁が現れて、「われは猿田彦であ る。われをこの地に祀れば、剣に血塗らずして賊を平らげることが出来るだろう」と告げて消 え失せた。そこで、この山に一社を建てて猿田彦を祀った。 翌年、賊徒の大軍が押し寄せてきたので、命が猿田彦に神に祈ると、虚空から佐波之矢(さば のや)が落ちて来て賊の首領を貫き、賊軍は降伏をした。この神の矢から採って土地を鯖矢と 呼ぶようになり、平安時代の正暦二年(991)に鯖江と改められた」 つまり、鯖江の地名はこの神社から来てるわけですね。 そしてもっと気になるのが、安伊奴彦。 アイヌと同じ音なのが気になるでしょ? そして多分彼は、猿田彦が遣わした人でしょう。 猿田彦とアイヌ。 なんとも気になる取り合わせじゃありませんか。 しかしまぁ……どこへ行っても、「大和朝廷の軍を迎え入れた人」の伝説が残ってるなぁと 思います。 そしてその名や姿に、縄文の名残があるのが面白い。 このような伝承を残すということは、この地の先住民は、弥生の民と平和に共存できたのかも しれません。 ……というか、一部の先住民は共存し、一部は戦って敗れといったところかな。 実際は、どのような駆け引きがあったのか、気になりますね(笑)