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波波伎神社

hahaki

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福庭古墳(多分左側の小さな山)






  祭  神:八重事代主命 稚彦神 下照姫神 少彦名神 建御名方神 味耜高彦根命
  説  明:平成祭データからご由緒を転載します。
      「八重事代で主命は大國主命の御子神で、國土経営の為此の地巡事の時、当社西方「ワタラガヒ」の
       地に上陸され当地方の開拓殖産に務められ、天孫降臨に当っては父神にすすめて恭順潔く國土を奉
       献して誠忠を儘され、父神に対して孝道を全うせられ献國後も永く皇室の護り神と成られ ました。
       其の荒神魂は青柴の巻籬内(今槙ケ木の字を充てる)に鎮まりました。之が当社御鎮座の根源であ
       る。」
  住  所:鳥取県倉吉市福庭654
  電話番号:
  ひとこと:神社境内地に福庭(ふくば)古墳があります。
       案内板がありますので、転載すると、
      「福庭古墳は古くから横穴式石室が開口している石室として知られており、大正期には京都帝国大学
       の梅原末治教授により測量調査が実施された。
       墳丘形式は直径約35m、平らに加工された切石によって構成される精美な造りである。
       入口通路にあたる羨道は長さ6.6m、幅2.1~2.7mと石室入り口(開口部)に向けて広くなっている。
       羨道の側壁は、玄門側(玄室側)は大型の一枚岩で構成されているが、石室入り口に行くに従って
       小型の石材が用いられており、積み方も乱雑となっている。遺体を安置するための玄室は、大型の
       石材を立て、その上部に板石を玄室内側にせり出すような形で積むことで奥壁・側壁とし、その上
       に大きな一枚岩を天上石として架構して、内寸長さ2.3m、幅2.2m、高さ2.3mの玄室空間を造り出し
       ており、加えて玄室入口床面には、高さ約40cmの仕切石が認められる。
       また、羨道と玄室の境界に位置する天上石には、玄門側には段状の加工、羨道側にはあたかも玄門
       石が前面に開くような仕掛けにみえる装飾得な加工が施されている。
       玄室奥壁には、一部赤塗彩が施されており、三角刑場の壁画が描かれた装飾古墳である可能性が指
       摘されている。
       当古墳は石室の特徴から古墳時代終末期の築造と考えられ、同じく国指定史跡である古墳時代後期
       の三明寺古墳につづく天神川流域の首長墳と評価されるものである。
         令和四年三月 鳥取県」
         
      「ははき」という響きは「ほうき」に通じます。
      「波波伎」と「伯耆」。
       この神社がどれほど重要か、なんとなく想像つきません?
      
       また、この神社は事代主の荒魂が鎮まった「青柴籬」であるという社伝も、あり得ないことではな
       いかもしれません。
       この社叢はとても広いんですが、倉吉市教育委員会の説明板によれば、
      「波波伎神社社叢
       波波伎神社社叢は、地域の原植生であるスダジイを主とする暖帯照葉樹林の自然性を残しているこ
       とが特徴として、昭和九(1934)年に国の天然記念物に指定されている。
       面積約1.7ヘクタールの社叢のうち、特に社伝の南東側と南西側はきわめて自然性が高く、林の熟
       成した部分では、高木層の樹高は約25メートルほどで、主にスダジイとタブノキの巨木が混成して
       いる。
       亜高木層のヒメユズリハや草本層のツワバキ、オニヤブソテツ等の存在は、この地がかつて海岸に
       近かった可能性を示す。
       周辺に自然林はほとんど残っておらず、市内では、打吹山と並んで貴重な自然林である。
         倉吉市教育委員会
         令和四年三月作成」
       と、海岸に近い土地じゃないかと言及してるんですね。
       
       福庭古墳も彩色古墳の可能性が高いみたいですし、気になりますね~。

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