祭 神:高皇産靈神 (相殿)物部守屋大連公 説 明:境内案内板を引用します。 「当社御草紙の年月は未詳なれど、大和時代後半(六―七世紀)と伝えられる。 当時朝廷は大和にあり、大連物部守屋と大臣蘇我馬子が相並び政を執り行う。然れど仏教の伝来 と皇嗣問題をめぐり両氏相対立、争いの末、蘇我氏が実権を握る所となり守屋大連公は漆部小坂 を随従に領内多根之荘に落ちられ本宮の岩屋に潜匿の身となられる。 ややありて後、欅林に萩の生い茂るこの地に庵を構え萩生翁と自称し、随従と共に茲に住まわれ る。里人慕い来たるや、翁、書を教え水を治めて農業を興す等、その生活に思いをかけられる。 村人敬慕して止まず遺命を拝して、大連公を本宮の岩屋に葬る。 後、庵の辺りに廟を建て大連公を尊崇して、爰に祭鎮。春夏秋冬祭祀怠りなく勤め奉る。 一、祭神 高皇産靈神 明治三十四年四月十七日許可 一、社格 明治十四年二月一日郷社加列」 住 所:滋賀県長浜市高畑町296 電話番号: ひとこと:この神社では、物部守屋公は迹見赤檮に殺されたのではなく、物部氏の領地である田根之荘に落ち 延びたと伝わっているようです。 物部守屋公が葬られたという岩屋は見つかりませんでしたが、平成祭データには、 「遺命に依て大臣を小谷東峡の巌窟に葬す」 とありますから、神社境内にあるわけではなさそうですね。 源義経がモンゴルに逃れてチンギスハンになったと信じられたように、物部守屋公もまた「亡くな ってない」と信じる人たちがいたということでしょうね。 「萩生」は「はぎう」でしょうか。 はぎう……特にピンとくる単語はない……かな? なんとなく、「何かありそう」と感じる神社です。