祭 神:大山祇大神 天手力雄神 (合祀)豐受姫命 説 明:案内板を転載します。 「当神社は長谷山の鎮の神として、太古より大山祇神を祀っている。垂仁天皇の御代倭姫命を御杖 として、この地域の『磯城厳橿(しきいつかし)の本』に約八ケ年天照大神をおまつりになった 時、隋神としてこの地に天手力雄神を、また北の山の中腹に豊秋津姫命を祀る二社を鎮座せられ た。 長谷寺縁起や其の他の古文書によると、この地方は三神の里、初瀬川は神河、表参道の朱塗の橋 は神河橋と書かれている。長谷寺験記の冒頭には、長谷寺開山の時の天手力雄神の霊験と功徳が 述べられている。聖武天皇の天平二年(西暦730)の大和大税帳には長谷山口の名が見え、当神 社の古いことを物語っている。延喜式内社である。 清和天皇の御代、貞観元年(西暦860)九月八日に風雨祈願の奉幣使が当神社に参拝されている。 中世には天手力雄明神を敬う明神講がうまれ、明神信仰は今につづいている。 当神社本殿の建築につき慶長十八年(西暦1613)の棟札が残っている。 近世になり、明治四十二年、初瀬平田にあった豊受神社の豊受姫神(保食の神)を合祀している。 当神社の鎮座は遠く古代にさかのぼり、由緒は極めて深く、あまねく人々の安泰繁栄と五穀豊穣 の祈願所として広く知られ、また氏子里人の守護神として崇敬されている。 本殿東の山上には磐境があり、ここより東約四百米の南西山麓に横穴式古墳が残っている」 住 所:奈良県桜井市初瀬4593 電話番号: ひとこと:去年、長谷寺の「だだおし」を観に行ったときに発見し、参拝したのですが、なぜだか紹介をアッ プし忘れていたので、今。 だだおしは2月14日に開催されました。 ちょうど新型コロナの流行が知られかけたころで、まだその実態がわかっていませんでした。 無症状の罹患者が多く、高齢者や既往症のある人に致死率が高いなどということがまだわかってお らず、「人に伝染さないためのマスク」という発想は、まだあまり浸透していませんでした。 「自分がコロナにかかりたくなければマスクをする。別にいいならしない」 くらいの意識しかなかった。 だから、観客の多くがマスクをしていませんでした。 ほとんどが高齢者でしたし、冬の一番寒いときだったけど……などと、今更思っています。 さて、「〇〇山口神社」は、奈良県の多くの山に鎮座します。 大和三山にはもれなく。 巨勢山口、生駒山口、当麻山口……ほんとうに多くの山に「山口神社」が祀られていることがわか ります。 「山口」というくらいですから、登山口に祀られているだろうと思いきや、山頂に祀られた神社も。 畝傍山口神社は今こそ山麓にありますが、往古は山頂に鎮座していたとか。 橿原神宮ができたとき、「見下ろすとはけしからん」と麓に無理やり遷座させられたのだと、宮司 さんから教わりました。 ここ、長谷山口神社は麓に鎮座しています。 でも、御神体は「本殿東の山上の磐境」かもしれませんね。 そうであれば、「山口神社」は「遥拝所」の意味かもしれません。 初瀬といえば雄略天皇ですが……。 天手力雄命と雄略天皇は、何かかぶるところがありますね。 関係ないかもしれませんが(^^ゞ