祭 神:市杵嶌姫命 説 明:境内案内板を転記します。 「起源 むかし昔(白鳳時代)、役の行者という人が、無人の山中にこの幽玄な湖をみ て深くその霊気にうたれ、これぞ正しく神の存します処として祀りはじめたの が池神社の起源と言われている。 最初は池の坂峠(辻堂)にあったが、元和年間(1615〜1624)に現在 地に遷宮された。 祭神 市杵嶌姫命=昔から雨乞いの御利益で知られ、当村の氏神様であるばかりでな く、広く南紀一円の崇敬を集めている。 明神池 社前に拡がる湖は、注ぐ谷なし出る川なき池として崇められ、不敬のことがあ ると雷鳴を伴う大雨が降るといわれ、今でも畏れ慎んでいる。 又、浮木(うき)様といって、古木が水面に浮かんで動き回ることが見られ、 それに亀が乗っていることがある。 昔からこれは、神様が遊びに来られたもので、吉兆のしるしであると伝えられ ている。 古書によれば、大阪城築城の際、池の周囲の大木が献上されて、大阪城落城の 際には、その末木が湖面に浮かび、七日七夜湖面の周囲を周り続けたと言われ ている。 池の周囲 約1キロメートル 池の面積 約6ヘクタール(周遊歩道あり)」 下北山村役場発行のパンフレット「きなりの郷 下北山村」の説明を転載しま す。 「池神社の水神伝説 水神の怒りが渦巻いて、ある時にわかに明神池の水面は荒れ狂いました。 天変地異のすさまじさに、村人たちはおろおろと手を合わせて祈ったり、かた ずを飲んで見守るばかりでした。 おりしも大峰山で修行中の、役の行者がこれを伝え聞き、池のほとりに赴き、 昼夜を通して三日間祈祷を続けました。 やがて、神の怒りがおさまると、不思議なことに、荒れ狂った池の水面が、鏡 のように静まり返ったといいます。 遥か千数百年も昔の、今に伝わるお話しです。」 住 所:奈良県吉野郡下北山村池峯1 電話番号:07468−5−2241 ひとこと:この神社のご神体は、明神池ということになるのでしょうか? 役行者の時代から千年以上、驚くことに、今現在も、まさに「鏡」でした。 それにしても面白いのは、神社境内にあった起源の説明と、下北山村役場の説 明するご由緒が、ほとんど180度と言ってよいほど違うことではないかと思 います。 でもどちらにしても、この池の神は、怒ると荒れに荒れるというところは一致 しています。 池の水神が怒るのは、どういったときなのでしょうか? そして静まるのは? 多くの伝承では、水神は娘の生贄を要求していますよね。 そのことにより、神は怒りを鎮めます。 娘は、水神の嫁になったというわけですね。 その後、水の底から、時折娘の声や、娘が機を織る音が聞こえる……なんてい う伝承が付記されたりしています。 折口信夫によれば、これは、「聖なる織り姫」である棚機女(たなばたつめ) が川の小屋において神迎えをしたという古来の儀式を伝承化したもの……とな りそうですが、場合によっては生贄は習慣化し、村人を苦しめます。 そこで、英雄の登場。 水神を退治して、生贄を廃止します。 多分、一番有名なのは、素戔鳴尊の八俣の大蛇退治でしょう。 でも、この神社では、いきなり役行者が登場します。 生贄の娘、出番なし(笑) しかもご祭神は、「島を奉斎する」という名を持つ、斎島姫こと市杵嶌姫命で す。 しかも、この女神を「雨乞いの神」として祀っているというのですね。 何かが、齟齬しているような気が……??? ・雨乞いの霊験あらたかな池 ・怒りにより嵐をおこす水神 ・役行者の祈祷により怒りを鎮める水神 ・市杵嶌姫命 ……何かが、ぴったりとあてはまらないような気がするのですが……。 でも例えば、 村人が雨乞いを祈って、池に何かの誓約をした。 果たして雨は降り、村は潤った。 そうなると村人は誓約を守ろうとしなくなり、水神は怒る。 嵐。 役行者の登場。 そして、祭神は、市杵嶌姫命となる。 という風に組み立てれば、村人の、水神への約束は、 「乙女を生贄として差し出す」 というものだったかもしれないと考えられもするのですが。 市杵嶌姫命は池の神であり、生贄の乙女であった……と。 しかしまぁ、これは私の推測でしかありません。 「しっくりさせたい」というのは人間側の勝手な思い込みですし、神様は多分、 そんなことあんまり気にしてはらへんと思いますから……余計なことを推理し てこねくり回すのは無粋の極みですよね(^^ゞ ただ一つだけ言えるのは、山の奥深く、しかもかなり標高の高い場所にあるこ の池は、往古、非常に神聖で神秘的に見えたであろうということです。 静まり返った池面は岸の景色をそのままそっくりに映し、水鳥を浮かべていま す。 下北山村は市街地からは少し離れていますが、綺麗に舗装された道でつながっ ていますから、これから観光地化されちゃうかもしれないですね。 でも、神池は、この先もずっと澄んでいて欲しいものだと思います。