祭 神:大山咋神 説 明:高知県宿毛市にある沖の島は別名「妹背島」とも呼ばれ、今昔物語によると、思わことから流され てきた兄と妹が、この島で夫婦となり、栄えたとあります。 日吉神社は沖の島の氏神様にあたり、秋季大祭が例祭、毎年10月10日に催行されるようです。 住 所:高知県宿毛市沖の島町母1792 電話番号: ひとこと:私がこの妹背島を気にしてるのは、すぐ北に伊予の国があるからです。 伊予の国に流されてきた兄と妹と言えば、木梨軽皇子とその妹の軽郎女、あるいは衣通姫。 二人は允恭天皇とその皇后の忍坂大中姫の子どもであり、兄の軽皇子は聡明で美しく、人柄は穏や か。人望篤き皇子でした。 妹の衣通姫はその体から輝き出る光が衣を通すほど美しかったとされます。 そんな二人が「この世で相応しいたった一人の相手」としてお互いに愛し合ったのは致し方ないこ とだったでしょう。 ……私は三島由紀夫の『軽皇子と衣通姫』も大好きです(笑) 二人は伊予の国で一緒に姿を消しています。 それは多分、「自害した」ということなのでしょうが……南へ下り、沖の島に流れてきた可能性も ありそうな気がしてなりません。 というより、記紀編纂者は沖の島の伝説……罪を背負った兄と妹が流れて来て夫婦となり、子孫繁 栄したという伝説を知っていたからこそ、軽皇子と衣通姫を伊予に流したのではないのか。 わからないけれど、そう思うからこそ惹かれるのです。 沖の島は何もない島ですが、海水の透明度は沖縄以上(宿のおじさん談)だそうです(笑) 私が泊った宿のおじさんはとても親切で、着いてすぐに車で島の中を案内してくださいました。 ただ、途中まで行くと、 「ここで引き返すな」 とUターンされるんです。 聞くところによると、沖の島は大きく母島地区と弘瀬地区に別れていて、文化も言葉も微妙に違う んだとか。 なぜかというと、廃藩置県のころまで、廣瀬地区は土佐、母島地区は伊予だったからなんです。 伊予……ね……と、なんとなく確信を新たにしてしまった(笑) 日吉神社は集落でも小高い場所にあり、見下ろすと漁港が見えます。 港を守っていたのでしょうね。 台風が来ていたのもあり、バスや電車が10分以上遅れていたら渡船に間に合わなかったり、いろい ろギリギリの旅でしたが、奇跡的なくらいにスムーズな旅程でした。 傘持ってったのに一度も使わなかったし……。 ただ、沖の島でだけ、「涼しかった」んです。 宿のおじさんは「もう少し太陽の光があれば、海の蒼さがわかるのに!!」と惜しがっておられま した。 夜は猛烈な雷雨で、布団に横たわっていたら、体の芯が震えるほど。 う~ん、これはやっぱり、再訪問せざるを得ませんね。