祭 神:為那都比古大神 為那都比売大神 説 明:境内案内板を引用します。 「当神社ハ摂津国ノ古社デ今ヲ去ル一千七百年以前アッタ部族国家『為那国』ノ中心地デ為那国 ヲ統括シタ為那氏族ノ守護神トシテ祀ラレタト伝承サレ日本紀ノ仁徳天皇三十八年ノ條ニ代々 氏神トシテ奉ツタト記サレ、醍醐天皇ノ延長五年ニ左大臣藤原忠平等ニヨリ撰出サレタ法制書 『延喜式神名帳』ニ官幣ヲ奉ツタ神社トシテ御名ガ見ヘル。往古ヨリ縁結ビノ神土地守護ノ神ト シテ崇敬篤ク通称『萱野ノ大宮』トシテ著名デアル。 明治四十年旧萱野村十ケ村ノ産土神十社ガ当神社ニ合祀サル 昭和五十七年十月吉日 為那都比古神社」 住 所:大阪府箕面市白島830番地 電話番号: ひとこと:「島」という地名が気になってます。 しかも「白」だし。 日本書紀では、推古天皇の二十年夏五月五日、ハンセン病患者を島へ置き去りにしようとした 話がでてきます。 「この年、百済から日本を慕ってやってくる者が多かった。その者たちの顔や体に、白斑や白籟 があり、その異様なことを憎んで、海中の島に置き去りにしようとした。しかしその人が、 『もし私の斑皮を嫌われるのならば、白斑の牛馬を国の中に飼えないではないか。また私にはい ささかな才能があります。築山を造るのが得意です。私を留めて使って下されば、国のために も利益があるでしょう。海の島に捨てたりして無駄にしなさるな』といった。それでその言葉 をきいて捨てないで、須弥山の形と、呉風の橋を御所の庭に築くことを命じた。時の人はその 人を名づけて路子匠といった。またの名を芝耆摩呂といった」 この白斑や白籟のある人というのは、ハンセン病患者のことだろうと言われています。 無関係かもしれませんが。 ここに、「為那国」という、朝廷にまつろわない国があったわけですよね。しかも多分、かな り手ごわく、朝廷にとっては「悪い奴らだ」と言いがかりをつけたくなるような。 そういった場所を病人の隔離場所にした、あるいはそのように誤認させるようにしたというの は、ありそうな気もします。