祭 神:仲哀天皇 神功皇后 応神天皇 三柱姫大神 説 明:ご由緒書を転載します。 「延喜式内者で、ご祭神は仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、三柱姫大神です。社伝によると仲哀天皇、神功皇 后が道後温泉にご来浴の際の行在所跡に建てられた神社で、湯月八幡とも呼ばれていました。 伊佐爾波という社名の起源は諸説ありますが、古事記に『建内宿禰大臣沙庭(さにわ)に居て、神の命を請 ひまつりき。是に大后、歸神(かみがかり)して……』、日本書紀に『建内宿禰に命せて琴撫かしめ、中臣 烏賊津使主を喚して審神者(さにわ)と為す』とあり、これに『神聖な』『清浄な』意を表す『い(齋)が 付いたもので、神功皇后の御事績に関わる名称とみるのが妥当と考えられます。 当神社は、河野氏が湯築城の守護神として、今の地に移し、その後、加藤嘉明が、松山城の固めとして八社 八幡を定めたとき、一番社として武運長久の祈願所となりました。 現在の社殿は、松平松山藩三代藩主の松平定長公が、将軍から命じられた流鏑馬の必中祈願のお礼として建 替えたものです』」 住 所:愛媛県松山市桜谷町173番地 電話番号:089-947-7447 ひとこと:仲哀天皇と神功皇后が道後温泉に来たという話は、記紀にはありません。 古事記の記述、すなわち「建内宿禰大臣沙庭(さにわ)に居て、神の命を請ひまつりき。是に大后、歸神」 云々については、古事記には香椎の宮にてとあります。 香椎は九州ですから、ここからちょっと遠いかな(^^ゞ ただし、この時はまだ、仲哀天皇はご存命。この神降ろしの最中に崩御したのです。 日本書紀の記述、すなわち「建内宿禰に命せて琴撫かしめ、中臣烏賊津使主を喚して審神者と為す」につい ては、場所が記述されていません。 ただしこのとき、仲哀天皇はすでに亡くなっています。 どちらにしても、この神社の社伝とは食い違いがある。 審神者(さにわ)とは、神託をくだした神がどのような神であるのか明らかにする者のことですから、博識 でなければなりません。 この神社にそういう職掌の人物がいたのかもしれません。 そしてそこに、仲哀天皇や神功皇后に匹敵する貴人がよくいらっしゃっていたのかも……。 真相はわかりません。 ただ、応神天皇(八幡)とゆかり深い神社として伝わっているということ。 ちょっと面白いな、と思うのです。