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伊曽乃神社

isono

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古茂理神社






  祭  神:伊曽乃神 (天照大神(あまてらすおおみかみ)の荒魂・武國凝別命)
  説  明:公式サイトの由緒を転載します。
      「第十二代景行天皇の皇子の武國凝別命(たけくにこりわけのみこと)は、国土開発の大任をおび伊予の地に封ぜら
       れ、皇祖天照皇大御神を奉斎し人々を愛撫し皇威を弘められました。
       
       命の御子孫は伊予三村別(みむらわけ)氏としてこの地方にひろがり栄え、天照皇大神に始祖武國凝別命をあわせ
       祀りました。これが当社の創祀であります。奈良時代には伊予国第一の大社として皇室の御崇敬もあつく、淳仁天
       皇の御代には新羅遠征に対する祈願がなされ、その後も南海道の海賊平定祈願等たびたびの奉幣祈願がなされまし
       た。称徳天皇の御代には神戸十烟を、更に翌年五烟を奉り従四位下に叙せられました。これはわが国における神位
       奉授の始めであります。延喜式内の名神大社であり、その後正一位に極位致しました。崇徳天皇の御祈願と共に勅
       額を賜り、その後も国司領主等による社地神田の寄進及び社殿の建立等が続きました。
       
       昭和15年国幣中社に列格し、昭和57年には浩宮様(現天皇陛下)も御参拝されました」
       
       古茂理神社の御由緒を転載します。
      「当社は、旧中野村(現在の大字中野番地)の産土神で、地縁を重視する家郷の神である。 
       御祭神は「木花佐久夜毘売命」と伝えられ、神話によると「木花佐久夜毘売命」は、「大山祇神」の娘で、火に包
       まれた産屋の中で無事お産をしたとの言い伝えから、安産の神様、子供を守る神様の信仰がある。
       「古茂理」の由来は、水のことを司どる霊力をもつ水分(みくまり)の神のことで、みくまり・みこもり・こもりと
       変化して「子守」の字を使ったという説がある。水分神には雨乞いなどの神事がある。
       一説によると、当社の社殿は保国寺の寺内、「御子守原(おこもりはら)」と呼ぶ地にあったものを、伊曽乃神社
       の門前に遷したとされる。現在は独立の神社である。
       古来から旧中野村の子孫繁栄を願う護り神として信仰されてきた。例祭は毎年十月十七日に行われ、子供相撲やだ
       んじりが奉納される」
  住  所:愛媛県西条市中野甲1649番地
  電話番号:
  ひとこと:延喜式内名神大社。つまり、平安時代の朝廷が、特に霊験あらたかな神社として認め、祈年の祭りには、特別な供
       物を捧げていた神社です。
       
       ちょっとわかりづらいのですが、武國凝別命は朝廷から伊予の国開発のために派遣されたということでしょうか?
       そしてそのために、天照大神の荒魂が守護したと?
       
       伊曽乃神社の祭神は伊曽乃大神。
       天照大神の荒魂とされます。
       荒魂というからには誰かを守護しているわけですけれど、ここでは景行天皇の皇子の武國凝別。
       伊予三村別氏の祖とされます。
       
       でも、讃岐で、景行天皇絡み、武猛の英雄といえば、武卵王でしょう。
       瀬戸内海に凶暴な悪魚がいて、人々を困らせていたため、武卵王が派遣されました。武卵王は魚に飲まれますが、
       腹の中で暴れて悪魚を殺すのです。
       この話、各地に伝わる悪い熊とミソサザイ、あるいは鬼と一寸法師の話を彷彿させます。
       海を渡って来るのは、ガガイモの船に乗るスクナヒコナを思い出しますし、お椀の船に乗る一寸法師の姿も浮かび
       ます。
       しかも名に「卵」がある。
       卵はまさに出口のない虚ろ舟です。
       
       四国は数多の貴人が虚ろ舟に乗って漂着しています。
       虚ろ舟は罪人を乗せる船でもありますから、彼らは流刑に処されたのかもしれません。
       例えば木梨軽皇子。
       同母妹の衣通姫と通じた人望厚き皇子は、四国中央市の東宮神社に葬られたとされます。
       四国はまた、各地に兄妹伝説を伝えもします。
       つまり兄と妹が漂着し、夫婦となって、子孫が栄えたと。
       
       兄妹。
       妹兄は、夫婦の別の表現でもあります。
       木梨軽皇子が実の妹と睦んだのが、果たして本当に罪とされたのでしょうか。
       また兄妹といえば、柳田國男のいう「をなり神」を思い出します。
       妹は兄の守り神として生まれてくるのだと。
       太田皇女がこの地に来る途中にわかに産気づき、大伯皇女を産んだという話が伝わるのも繋がります。
       彼女は明らかに、大津皇子の「をなり」だったと思う。
       
       この神社の祭神は武國凝別と、彼を守護する女神。
       彼らはともにこの地に漂着しました。
       
       愛と罪とを虚ろ舟に詰めて流された貴人が辿り着く地なのですね。

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