祭 神:日本武尊 説 明:境内案内板から引用します 「日本武尊が東征の帰途、伊吹山の荒ぶる神を討ちに出かけるが、逆に神の使いである白猪の毒気に当 てられる。ようやく居醒の清水で正気を取り戻し尾張に向かうが、伊勢の地で亡くなり、白鳥となっ て大和へ飛び立ったことが記紀に記されている。 ところで礒崎神社の縁起によると日本武尊が亡くなったのは礒の地であり、そこに御陵を築いたとあ る。その後聖武天皇の勅命により社殿が建立され、これを礒崎大明神と号したのが礒崎神社の起こり と伝えている。現在の社殿は彦根藩主井伊家によって再建されたものである。 この礒崎神社の祭礼行事として行われているのが、武者行列である。祭神の日本武尊は武神として崇 敬され、氏子はその勇猛にあやかるため女児は熊襲征伐の武尊の稚児姿に、男児は鎧武者姿で御旅所 より礒崎神社まで渡御する。その行列絵巻は春の湖岸を彩る風物詩となっている。」 住 所:滋賀県米原市磯2484 電話番号: ひとこと:大和武尊の墓は能褒野が「公式」になると思うんですが、伊吹山で毒を浴び、醒ヶ井で息を吹き返し…… という経緯を考えると、この地に墳墓があっても不思議はない気もします。 たまたま神社の前を通りがかり、「大和武尊関係なら参拝しよう!」と鳥居をくぐったんですが、む ちゃくちゃ階段が長い……。 しかも、境内の奥にまた鳥居があったので、「奥宮?」と、登り始めたら、最初は平坦な道が続いた んですけども、最後に急勾配(´・・`) 聞いてないよ~……ってな気分でございました。 ただ、この礒山からは約6000年前、縄文時代早期の埋葬人骨が発掘されているとのことで、かなり古 い時代から人が住んでいたみたいです。 「大和武尊」とされた人物も、縄文時代の英雄かもしれません。 そう考えると、ロマンよね~(#^.^#)