祭 神:顯國魂神 多都比姫神 宇賀能賣神 大山祇神 坂上刈田麿 説 明:御由緒書を引用します。 「由緒沿革 当社は昔から『お岩木さま』『おやま』と親しんで呼ばれ、陸奥津軽の開拓の 神、農海産物の守護神、また祖霊の座すところとして崇められてまいりました。 神山・霊山である岩木山は津軽全土から仰望せられ、人々に慈しみの徳を授け たまい、郷土人の生活と心のよりどころであります。 岩木山大神は宝亀十一年(780)社殿を山頂に創建したのが当社の起りであ ります。 延暦十九年(800)征夷大将軍坂上田村麿これを再建し、別に山麓十腰内の 里に下居宮を建立して、山頂を奥宮と称し、寛治五年(1091)神宣により 下居宮を現在地に奉遷いたしました。その後、世々の地頭・領主何れもがよく 崇敬の赤誠をつくし、江戸時代には津軽藩主為信・信牧・信義・信政により大 造営が行われ、近代には崇敬者の熱意を集めて建造物、諸施設とも整い、名実 ともにその偉容を誇り、畏き辺りも日本の北門鎮護の名社として、農業・漁業・ 商工業・医薬・交通関係、とりわけ開運福の神として、色々の週はを超え、深 い信仰の源として厚く崇敬されております。 新しき時代に向い、ご神徳のまにまに、日本人の心の絆としてひとしく拝し、 ご神威ますます輝かしく仰ぎ奉られるのであります。大國魂鎮守旧國弊社。」 住 所:青森県弘前市大字百沢字沢27 電話番号:0172-83-2135 ひとこと:この神社の鳥居から、岩木山の山容が仰げます。 まさしくこの山こそが、この神社のご神体なのだと実感せずにはいられない風 景です。 岩木山は美しい姿からか、古い信仰の対象であるようです。 角川書店の『青森の伝説』でも、さまざまな形で語られています。 一つは、小栗山神社でも紹介したように、 「大昔に、二柱の神が津軽の地を支配しようとして、互いに激しく戦った。こ の神々の戦のために、山間の谷は海に変じ、川や沼は丘になるちおうほどの 天変地異になった。今の陸奥湾がこのとき内海になったのだともいう。 さて、この戦いの勝利神は岩木山に現われ、敗れた紙は小栗山に隠れること になった。そのために小栗山の村人は岩木山に登らぬ習わしであり、また津 軽郡中に降る雨は多く小栗山から降りはじめるのだという。 小栗山とのかかわりについて、別説がある。 昔姉妹の神が、それぞれ岩木山に鎮座しようとして、この山をめざして行っ た。途中で姉神は獅子舞のおもしろさに見とれているうちに、妹神のほうが 先に岩木山に着いてしまった。 姉神はしかたなく、小栗山に住むことになったが、今でも小栗山の神は獅子 舞を嫌うといい、また小栗山部落の人々は、岩木山に詣でることをしない」 などとする伝説。 岩木山は八甲田山の大岳と背比べをしていたりして、他の山と比較の対象に なり、必ず勝利を修めています。 つまり、それほどに「重要な山」なのでしょう。 でも特に気になるのが、この山に戻ってきたのが安寿姫であるという伝承が 残っていること。 安寿姫は丹後の国で山椒太夫に殺されたとされますが、助けられて岩木山に 戻ってきたとされているのです。 でもだから、丹後の人が岩木山を登ろうとすると、必ず天気が荒れるのだと か。 丹後と岩木山ってとても遠いように思いますが、日本海を使って交流があっ たのでしょうね。 このあたりの関連をもっとじっくり見つめられたらいいのですが……。 まだまだ資料も勉強も不足でございます。