祭 神:日子坐命 八瓜入日子命 説 明:ご由緒書から引用します 「この社は延喜式神名帳『美濃国各務郡七社伊波乃西神社』とあり、二千有余年の間、我々の 祖先が崇敬し続けてきた格式高い由緒ある神社である。昭和六十一年、銀弊社に昇格された。 祭神は日子坐命(ひこいますのみこと)、(彦坐命とも)と申し上げ、第九代開化天皇の第 四皇子(第三とも)、第十代崇神天皇の異母弟、第十二代景行天皇、また伊奈波神社御主神 『五十瓊敷入彦命』(いにしきいりひこのみこと)の外祖父にあたる。ともにお祀りされてい る御子『八瓜入日子命(やつりいりひこのみこと)』(神大根王、神骨とも)と共に美濃国 の治山治水など開発を担当し、この地で亡くなったと云われている。 『古事記』によると、日子坐王は崇神天皇の命を受け、旦波国(丹波)へ向かわれ、玖賀耳御 笠(くがみみのみかさ)を討伐された。所謂『四道将軍』であったのではないかと思われる が、旦波は御子である四道将軍・丹波道主命(たにはのみちぬしのみこと)が治めた。その 後、命は、御子八瓜入日子命が三野(美濃)・本巣国前国造に命ぜられるにあたり同行して この地に来られ、地域の安全と人々の生活向上に心血を注がれ、住民の信望を集められた。 薨ぜられるにあたり、住民はこの地の北山中腹に手厚く葬り崇め奉った。古来この墓所には 拝殿があり、ここを伊波乃西神社と称していたが、明治八年宮内省より御陵墓と認定された ため、現地に遷宮し奉ったものである。 命は累代の皇族中においても特に功績偉大重要な存在であり、其の子孫は普く天下四方に繁 行し、美濃のみならず常陸・甲斐・三河・伊勢・近江・山城・河内・大和・但馬・播磨・丹 波・吉備・若狭・因幡など広汎に分布している。命は地方勢力の大中心として、朝廷にも対 比するべきほどの名声があり、『古事記』『日本書紀』には『日子坐王』(ひこいますのき み)と天皇の復号に対し、特に『王』と称し奉られている。そのため、美濃各地をはじめ、 全国に命や命の子孫・一族を『神』として祀る神社が数多く存在している」 住 所:岐阜県岐阜市岩田西3丁目42番地 電話番号: ひとこと:日子坐王は、五十瓊敷入彦命の外祖父であると同時に、五十瓊敷入彦命の父である垂仁天皇 の最愛の皇后である狭穂姫の父でもあるんですよ。 平成祭データにある由緒は、 「祭神日子坐王は、人皇第九代開化天皇の皇子で、伊奈波神社の祭神、丹波道主命の父君にあ たらせられる」 なんて話があったので、丹波道主命=五十瓊敷入彦命だなんて話があるのかとトキメイちゃ ったんですけど、神社で配布されていた由緒書では、伊奈波神社御主神の外祖父になってま した。 残念( ;∀;) でも、どうもここらへん、すごく入り込んでますよね。 ややこしい……。 ちょっと混乱しちゃってます(^^ゞ