shigoto

石刀神社

iwato_owari

iwato_owari

奥の宮






  祭  神:八倉比売神
  説  明:境内案内板を転載します。
      「延喜式神名帳に中島郡石刀神社。尾張国神名帳に従三位石刀天神ともある旧社で古来社伝は
       なく、天然に躓踞する巨岩を以って神体とし、古代人の信仰を其の儘現在に伝えている。玉
       垣内の神体は長さ六尺幅四尺、色は漆黒で旭に映えると金色の光輝を放つ。又此の地より東
       一丁許距てて畑中に約六尺四面の同岩が有り、本宮のものを胴体岩と称するに対し、これを
       尾岩とも云う。
       按ずるに祭神八倉比売神は、伊弉諾尊伊弉冉尊二柱の神の御子神で、延喜式阿波国名方郡、
       天石門別八倉比売神社大月次神嘗の祭神におわすか。
       神位仁明天皇承和八年八月戊戌朔戊午奉授阿波国正八位上天石門和気八倉比咩神従五位下。
       清和天皇貞観七年二月二十七日己卯授阿波国国正八位上天石門和気八倉比咩神従四位下。
       同十三年二月二十六日壬寅授阿波国国正八位上天石門和気八倉比咩神従四位上。
       同十六年三月十四日癸酉授阿波国国正八位上天石門和気八倉比咩正四位下。
       陽成天皇元慶三年六月二十三日壬午授阿波国国正八位上天石門和気八倉比咩神正四位上。
       朱雀天皇天慶三年二月朔日丁酉阿波国国正八位上天石門和気八倉比咩神正三位。
       と有って天然躓踞の巨岩を御霊代として仰ぐのは、前記木曽川大せぎの神 小塞神社と共
       に、水防・堤防鎮護の神として、古人が崇敬したに始まるものであろう。
       又当社は古来高貴の崇敬篤く、室町時代には尾張の国衛から多額の神領を奉納していたが、
       他の国衛と共に醍醐三宝院に移されたため、今同院所蔵のものに左文書が伝わっている。
       一、三宝院文書(年不明十月二日附)
          尾張国衛領注文 岩戸社一所 守護方さかい
       一、同文書 応永六年国衛正税依国中物総(ママ)不致沙汰分事 百五十文
          岩刀社未進小里殿知行
       一、同文書 応永九年五月二十八日眼光守注進状
          尾張国国衛正税自守護御方違乱所 岩戸社給人織田左京亮
       一、同文書 応永十年八月十三日 同上岩戸社給人 平尾方
       当社は元黒岩神社と称していたが、明治三十二年六月二十七日、官の指示により今の社号に
       改めた。
       
       境内神社
       奥の宮 本社と同じく天然の巨岩を祀るも社殿なし」
  住  所:愛知県一宮市浅井町黒岩字石刀塚271-1
  電話番号:
  ひとこと:胴と尾……ということは、頭はどこ?
       頭は胴にくっついてるんでしょうね。
       
       でも、もとはどんな姿をされてたんでしょうか。
       
       英雄に退治された化け物が、巨石と化すというストーリーは、各地に散見できますが、ここ
       の場合、大蛇だか、大狒々だか、伝わっていません。
       
       ただ、そばには南派川が流れていましたから、大蛇かも。
       
       残念ながら、午後に参拝したため、巨石が黄金色に輝くところは見られませんでしたが、良
       い雰囲気の神社でした。

home 神社のトップに戻ります back