祭 神:伊豫豆比古命 伊豫豆比売命 伊与主命 愛比売命 説 明:ご由緒書を転載します。 「御鎮座二千数百余年、伊豫豆比古命神社は通称椿神社、椿さんとも呼ばれ、古くより開運縁起商売繁盛の神 として世の崇敬篤き神社であります。特に旧暦の一月七・八・九日の三日間斎行される椿まつりは四国隋一 の大祭であり、愛媛県下はもとより全国から五十万人余りの善男善女が参詣に集う大変賑やかなお祭りです。 御祭神について 伊豫豆比古命は湯の国の主宰神の意味を持ち、(言久味国造軽鳥豊明朝神魂尊十三世孫伊与主定賜国造)に、 応神天皇の御代初代久味国造に就任されたとある(伊予の国造は政務天皇の朝に他国に先んじて置かれ、か つ、景行天皇熊襲征伐の折に大功を建てた敷桁彦命の子・速後上命が任ぜられた。国造本紀によれば、七世 孫の始めの愛媛では、伊予・久味・小市(越知)・怒麻(野間)・風早の五ヶ所に国造があったと記されて いる。久味国造は最初の国造、伊豫国造により僅かに数十年を隔てて応神朝に置かれ、初代国造に就任され たのが伊与主命である)。伊与主の名儀は伊豫の主の意で、最古の道後温泉が勢力範囲に入っていたことか ら『湯の大人(うし)』からきているという説もある。古くから温泉として大和朝廷との交渉のあった温泉(ゆ) の国、また付近に展開する重信川流域を中心とした芳醇な地帯に住む先住者と一体化することは、時の中央 政府にとって緊要の政治的措置であったのである。愛比売命は古事記に伊予国謂愛比売とあり、見目麗しき 女神の意と考えられ、本居宣長は古事記伝(愛比売は兄弟の女子を兄比売弟比売と云例多かれば、此国は女 子の始まりの意にて兄比売か。又伊豫を元より大名にして見れば、彼大御歌(応神)のごとく彌並宜島々の 意にて愛は宜き意か。比売は比古に対して、女を美めて云祢にて、比は産巣日などの日の意なり)に、愛媛 の意を講説している。 伊豫豆比古命と伊与主命の両神については、同神異名と考える説と、その祖神を神格化して伊豫豆比古命と 称えその後継者を伊与主命と詠んだものとする説の二説があり貞かではないが、久味に国造が置かれ国魂と して伊豫豆比古命が主人として祀られ(先住者にとって氏神でもあった)、その後継者であった伊与主命が 久味国造としてその境域巡撫に当たったとする説は、上代の記紀に見える先住異族との融和統一に見られる 事例で珍しいものではない。 又、『播磨国風土記にいう。冑岡というは、伊与都比古の神、宇智賀久牟豊富命と、相戦いし時、冑、此の 岡に堕ちき。故、冑岡という』と記載されているのは、伊豫豆比古命の神威が播磨の国まで届いていた証拠 であると思われる」 住 所:愛媛県松山市居相2-2-1 電話番号:089-956-0321 ひとこと:つまり、先住者と深い関わりのある神社……先住者の聖地であったのかもしれません。 本殿の前には、奏者者(そうじゃしゃ)があります。 どうやら大変重要らしいんですが、明らかに一段「格下」に祀られているんですね。 その案内板も転記しましょう。 「御祭神 潮鳴栲綱翁神 伊豫豆比古命様が、この地(舟山)にお舟を近づけられたとき、厳頭(大きな岩)に艫綱をつなぎ、先住の 民の代表者である奏者社の御祭神が迎えられた古事により、萬お取次ぎの神として信仰篤く、本社参拝に先 立ち、まず奏者社に参拝する習慣が残されている」 伊与主命と潮鳴栲綱翁神の関係性はどうなっているんでしょう? 同一の神なのか、それとも伊与主は仲介者か。 愛媛には、兄妹伝説が深く刻まれているように思います。 軽皇子と衣通姫が流罪になった場所ですし、国こそは土佐ですが、愛媛からも遠くない沖の島は「妹背島」 とも呼ばれ、罪を得て流された兄と妹がここに漂着し、夫婦となって子孫が繁栄したと伝わっています。 そして流刑の地でありながら「愛比売」と、姫神の地であることも不思議な気がします。 伊予の国とはいったいどんな地だったのか。 黄泉がえりの湯である道後温泉はどんな存在感を示していたのか。 多分、この神社にヒントがあるような気がします。