祭 神:高龗命 説 明:境内案内板から引用します 「龍の爪かき石 龍の爪かき石は、蛇宮伝説の基となる石で、当社の御神体(縄文後期の神籠石)だったとも 言われ、その石の穴にも白蛇が龍となって天に天空をかける時に爪で蹴った跡だとも、天狗 が昇天の際に足で蹴ったとも言い伝わっている。 球石(孕み石) 球石は、表面の滑らかで丸く膨らんだ硬質の石が、ちょうど、妊婦の腹部を思わせる臍の穴 に似た穴があいているところから『孕み石』と呼ばれ、民間では安産の神として多くの人々 によって撫でられ、信仰されている。この石は、むかし神様が鏑川から投げ込んだとも言わ れている。一説によると弘化三年(1846)八月に高田川が、大洪水を起こした際に、犬 飼河原に流れ寄った石を土地の人々が、神様のお籠もりになっている石に違いないと言って、 当社に奉納したとも伝えられている。」 平成祭データの由緒も引用します。 「当社の創建は明らかでないが、上野国神名帳甘楽郡三十二社の従五位上於神明神と考えられ る古社である。 また、社伝の蛇宮大明神縁起によると、もともとは諏訪大明神が祭られていた地に、明応三 年(一四九四)九月二十九日(異本明応元年九月二十三日)蛇宮大明神として再建された。 武家の時代に至っては、元和二年(一六一六)前田利家公の五男利孝公が、上州甘楽郡内に 一万十四石を賜わり七日市に入封し陣屋の造営以来明治維新まで、歴代藩主を通じて当社を 守護神と崇敬し社領若干を寄進するなど庇護を受けた。 特に十一代藩主利豁公は、社殿の造営等に力を注いだ。 明治初年神仏分離令により、当時別当の蛇宮山金剛院慈眼寺の管理を離れた。 同十二年(一八七九)初めて村社に列せられ、同四十四年(一九一一)に七日市内の四社と 御三社を合祀し総鎮守となった。 大正四年には、神饌幣帛供進指定神社となったが、昭和二十一年社格制度の廃止に伴い境内 地並び立木の無償払い下げをうけて宗教法人となった。 昭和五十六年より氏子各位の御協力と御理解にもとずき社殿等境内整備事業を行いつつ現在 に至っている。 住 所:群馬県富岡市七日市1003 電話番号: ひとこと:前神社から徒歩15分ほどの場所にある神社。 物部氏に蛇はつきものですからね。貫前神社が物部系なら、この蛇宮はゆかりの神社なので はないかと思われます。 もとは諏訪神社だったというのも興味深い。 ミシャグチ神との関連はいかに?