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神武天皇社

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  祭  神:神倭伊波礼毘古命
  説  明:境内案内板から引用します
      「祭神は神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレヒコノミコト)で、初代神武天皇の即位した場所である
       といわれる。
       享保二十一年(1736年)の大和誌には、『橿原宮。柏原村に在り』と記し、本居宣長も明和九年
      (1772年)の『菅笠日記』に、『畝傍山の近くに橿原という地名はなく、一里あまり西南にあるこ
       とを里人から聞いた』と記している。
       言い伝えによると、この地が宮跡に指定されると住民が他に移住しなければならなくなるので、明治
       のはじめに証拠書類を全て償却して指定を逃れたという。
       本殿は流れ造りで、天保四年(1833年)九月正還宮の棟札がある。
       本社の南にある境内社『嗛間(ほほま)神社』(別名ホングワラの宮)は、『サワリの神』と称され、
       神武天皇の前后である吾平津媛命(アヒラツヒメノミコト)を祀る。伝承によると、神武天皇が大和
       を平定した後、三輪の大物主神の娘である媛蹈鞴五十鈴媛命(ヒメタタライスズヒメノミコト)を皇
       后に迎えたため、やむなくこの地に侘び住まいしたと伝えられる。その怨念が夫婦の縁を呪うといわ
       れ、昔から嫁入り行列はこの神社の前を通ってはならないとされていた。
       里の北西には『本馬山』(標高143メートル)があり、神武が国見をした『掖上の嗛間の丘』であ
       ると伝えられる」
  住  所:奈良県御所市柏原246
  電話番号:
  ひとこと:明治時代、橿原神宮が建立されたときは、相当の混乱があったようですね。
       
       畝傍山の山頂にあった神社は、「神武天皇の宮を見下ろすとは不敬である」とのことで、麓に遷座を
       強制されたと聞きます。
       その際、多くの事故があり、祟りだと畏れられた……とは、その神社の宮司さんの弁。
       
       そもそも橿原は、太古海の底だった場所。
       神武天皇が都を造った時代でもまだ、沼地だったろうと言われています。
       そんな場所になぜ都を造ったのでしょう?本当の為政者なら。
       
       そしてここ、神武天皇社の横には水平社博物館があります。
       
       神武天皇……あるいはそのモデルとなった人物……は、いったいどういう人物なのでしょうね。

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