shigoto

梶無神社

kajinai






  祭  神:瓊瓊杵尊 木花開耶姫命
  説  明:境内案内板から引用します
      「社伝によると、神武天皇は、ご東征の砌り御船を白肩津から入江深く遡らせて来られ、日下坂の戦い
       に利あらず、御船にて廻幸なされようとされたが、風強く浪高くして梶折れ、御船は海上を漂揺する
       危機に立ち至られた。神武天皇は、祖神のご加護を求め祈願を籠められた為、さしもの強風も鎮まり、
       波も穏やかになって、附近の丘に御船をつけ、上陸する事ができた。神武天皇は、祖神のご加護を深
       く歓ばれて、その上陸した処に、祖神の瓊瓊杵尊と木花開耶姫命を祭神として祠を建て、神々に感謝
       をなされた。この祠が後年梶無神社になったと云われている。
       古代においては、日下の入江がずっと南に入り込み、その低湿の地に近い下六万寺町三丁目三番付近
       から五世紀ごろの祭祀遺物である石製模造品が出土しているが、この辺りが神武天皇上陸の地とも云
       われている。また、後三條天皇延久四年(1072)九月五日の太政官牒によると、この祭祀遺物が
       出土した西側から今の近鉄線の南側に至る六町四方の『梶無里』があったことがわかる。この『梶無
       里』は、梶無神社の所領または神田の所在地であったとも云われ、現存する『小字梶無』は、『梶無
       里』三十六の坪のうち『十七、十八の坪』に亘るあたりである。
       梶無神社は、『船山大明神』『桜井の社』とも云われ、梶無神社のご鎮座地周辺は古代の河内國河内
       郡に設けられた七郷の一つである桜井郷の中心地で、大化の改新まで桜井屯倉(日本書紀安閑天皇元
       年条)が置かれ、応神天皇の妃となった糸媛の兄櫻井田部連男鉏の出身地である。また奈良時代には、
       平城京から鳴川峠を経て難波京に至る道中の地である桜井頓宮(天皇の行幸に際して設けられた仮宮・
       続日本紀天平十六年閏正月十一日条が設けられた」」
  住  所:大阪府東大阪市六万寺町3丁目4番31号
  電話番号:
  ひとこと:そばはよく通るんですが、こんなところに式内社があったとは知りませんでした。
  
       神武天皇が実在したかどうかはわかりませんが、モデルとなった人物はこの辺りから上陸したんでし
       ょうね。
       
       宮崎へ行ったとき、もしかしたら饒速日と瓊瓊杵兄弟のモデルは、天智天皇と天武天皇なんじゃない
       かな~……と、ふっと思ったんですよ。
       
       愛知県の歴友によれば、九州南部には天智天皇絡みの遺跡が多いらしいですし。
       
       もしそうだとしたら、天智天皇はこのあたりからやってきたのかも。
       
       ……近所すぎて、なんかイメージが湧きません(^^ゞ

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