祭 神:丹波道主命 八千矛神 天神玉命 天種子命 説 明:ご由緒を転載します。 「神谷神社は、通称『神谷太刀宮』『太刀宮』と称し、延喜式の神名帳に記される神社で ある。現在の本殿は天明元(1781)年に建てられた。桁行き二間、入母屋造の檜皮葺、 出雲地方に多い大社造の系統をひく建物であり、彫刻も精巧なものとなっており、『太 刀宮造』と称され、この地方では例のない神社建築である。神門も切妻造の四脚門で、 格天井を張るなど意匠に優れ、境内社八幡神社本殿も、小規模なこけら葺、一間社流造 で孔雀の彫刻を施すなど装飾豊かな建物である。 祭神として、丹波道主命、八千矛神、天神玉命、天種子命を祀る。丹波道主命は四道将 軍として丹波に派遣されたと『日本書紀』に記される。神社では丹波道主命が丹波平定 の後、明神谷に出雲国より八千矛神、天神玉命、天種子命の三座の神々を迎え、出雲の 人々の歓心を得、社殿を創建したのに始まると伝えられる。 丹波道主命は、丹波河上摩須郎女をめとり、五子を授かる。その娘の日葉酢媛は第十一 代垂仁天皇の皇后となる。神谷神社は旧郷社であり、社蔵文書によると文禄五(1596) 年城主松井康之から用地寄進を受けていることがわかる。 鳥居は石造明神鳥居で、宝永四(1707)年に建てられたものである。 八幡山の山麓に巨岩を擁し、自然崇拝の『磐座』の様相を呈し、境内地一帯は、京都府 文化財環境保全地区に指定されている。 境内の参考館(考古館)は、旧久美浜県庁舎、玄関棟の建物の一部で、明治初期の武家 屋敷の流れをひく役所建築として貴重である」 住 所:京都府京丹後市久美浜町1314 電話番号: ひとこと:なぜ「太刀宮」と呼ばれるのかは説明がないのでわかりませんが、丹波道主命が四道将 軍として丹波を平定したことを考えると、その時に使われた太刀が祀られていたりする のでしょうか? 出雲の歓心を得る必要があったということはつまり、当時このあたりは出雲の一部だっ たということでしょうか。 いろいろと「残ってる」感じがする神社でした。