祭 神:日本武尊 天照大御神(他十四神 明治四十一年合祀) 説 明:境内案内板を引用します 「古事記・日本書紀によると、日本武尊は第十二代景行天皇の皇子でした。生まれつき 武勇にすぐれた尊は、若くして九州の熊襲、出雲を平定し、つづいて東国の蝦夷征討 へと旅立ちます。尊は各地で戦い、勝利を続けましたが、伊吹山の戦いで傷つき、病 におかされ、動かぬ身体を引きずってこの能褒野に辿りつき、遥かに大和を望んで短 い生涯を終えたと伝えられています。 大和は国のまほろば たたなずく青垣 山こもれる大和しうるわし 本殿来たの白鳥塚は、県下最大(平成十七年の調査により、帆立貝式の前方後円墳で あることがわかりました)の円墳で、古くから日本武尊の御陵とされ、本居宣長・平 田篤胤らによって、延喜の諸陵式の能褒野墓と考えられました。 この白鳥塚のそばに、尊が死の間際まで持っておられた笠と杖を御神体としてお祭り したのが、加佐登神社の始まりです。明治以前は御笠殿社と称され、諸病平癒の霊験 あらたかで、人々の篤い信仰を受けてきました。 大祭は日本武尊の命日と伝わる四月八日。 古代、この地は景行天皇が行在所を置かれたことから、高宮の里とも呼ばれ、附近に は綺宮跡や、奉冠塚・奉装塚などの多くの古い塚が残っており、神苑は県下有数のつ つじの名所として知られています」 住 所:三重県鈴鹿市加佐登町2010 電話番号: ひとこと:腫物の病に霊験ありとされたこの神社。 式内社の倭文神社を合祀しています。 「かさ」の音に惹かれて参拝した神社ですが、ヤマトタケルが能褒野で亡くなったとす るのは、どういった事情からのことだろうとおもえてきたなぁ。 今のところ、感想はそれだけです。