祭 神:仲哀天皇 神功皇后 説 明:ご由緒書を引用します。 「仲哀天皇は、天下を治めんと志し、仲哀天皇八年(199)に熊襲平定の為に筑紫の地に下り、 橿日宮を営まれました。しかし、翌仲哀天皇九年(200)志半ばにして崩御されました。そ の御意志を継いだ神功皇后が、自ら祠を建て仲哀天皇の御神霊を祀られたのが当宮の起源です。 次いで、神功皇后の宮は元正天皇の養老七年(723)に神功皇后御自身の御神託により朝廷 が九州に詔して社殿の造営を行い、聖武天皇の神亀元年(724)に竣工したもので、この両 宮を併せて香椎廟と称しました。明治十八年に関平退社香椎宮と称し、戦後は香椎宮と称して います」 住 所:福岡県福岡市東区香椎4-16-1 電話番号:092-681-1001 ひとこと:私がこの神社に深い関心を持ったのは、『椎賢比丘筆記』がきっかけでした。 福島晃著『南島説話の研究』からの孫引きですが、引用しておきますね。 「震旦国陳大王の娘たる大比留女。七歳でご懐妊。父王怖畏をなし。汝等未だ幼少也。誰人子有 慥かに申すべしと仰せければ。我夢で朝日の光が胸を覆った所、娠也と申し給えば。皆驚いて。 御誕生の皇子ともども空船に乗せられ、流れ着いた所を領とし給えとて大海に浮かべられ奉る。 日本大隈の岸に着き給う。其の太子を八幡と号し奉る。依ってこの船の着いた所を八幡崎と名 づく。是継体天皇の御宇也。大比留女筑前国若椙山へ飛び入り給える後、香椎聖母大菩薩と顕 れ給えり。皇子大隈国に留まりて、正八幡身やと祝れ給えり。」 わかりますか? 震旦国……古代中国にあった国の七歳の王女が、太陽の光により妊娠・出産するんです。 国王は彼女を畏れ、うつろ舟に乗せて海に流します。 母子がたどり着いたのがここ筑前でした。 そして、姫は香椎聖母大菩薩、皇子は正八幡身として祀られたとされます。 つまり、この地には、何か土着の母子信仰があったのでしょうね。 しかもその二人がうつろ舟で流されているのが面白い。 さらにその理由が、異常な妊娠にあるんですよ。 これだけで何がわかるってもんでもありませんが、私が気になっている、 「悲しい女性の病を治してあげようという悲願をもつ、漂流の女神」 につながるものがあるように思えます。 この神社の境外には仲哀天皇の宮でご廟と伝わる古宮址、不老水がありました。 不老水は、武内宿禰に関連づけられていましたが、あるいは「婦人病を治す水」でもあったの かもとかね(笑) いろいろ妄想してしまいました。