祭 神:応神天皇 天津児屋根命 説 明:案内板を転載します。 「祭神は応神天皇と天津児屋根命で、天安三年(859)に宇佐八幡宮より迎えられたと伝えられる。 氏子は牧・時重・鍛冶屋(相坂)・上筋原・下筋原の五ケ村であるが、昔は栗栖荘24ケ村の惣社で、 境内に75社あり、大鳥居は芝田村にあった。 当社には、古来から神託によって7月14日に白羽の矢が屋根に立った家の娘を人身御供として神社 に奉納する風習があり、さからうと祟りがあると恐れられていたが、後に河内国枚岡神社の神霊を 祀ったことにより、祟りがなくなり人身御供の神事はなくなった。この河内より神霊を迎えたこと に因んで社名が河内神社と改称されたと伝えられる。 当社の伝統行事としては、すっぽん踊り(8月14日)・桝洗い(雨乞)・秋祭りの頭と獅子舞があ る。特に秋祭りの頭は、当差・木拾い・口明け・よいよいぱー・お仮屋などの古い祭礼の形態がよ く残っており、大変貴重である。また、敬愛には町指定天然記念物の大銀杏や、本殿背後の樫の大 木を含む帰蝶な社叢林がある」 住 所:兵庫県たつの市新宮町牧850 電話番号: ひとこと:秋祭りの「頭」ってのがよくわからないんですけどね(^^ゞ なんと読むのかさえ、調べてみてもわからんという。次の宿題ですね。 さて、興味深いのは、人身御供の風習は、天児屋根命が勧請されるまでの風習だったということ。 つまり、人身御供を要求したのは、八幡神だって読めません? これは由々しきことじゃないでしょうか。 もしそうじゃなくても、八幡神では人身御供をやめさせられなかったのに、天児屋根命なら止めら れたってこと。 一般的に、八幡神は武神です。 天児屋根命は祝詞奏上の神。 武神の建御雷では抑えられなかった天津甕星を、織物の神様である武葉槌が鎮めたのと似てるかも。 興味深い話しだと思いませんか?