祭 神:大己貴命 奴奈加波比売命(配祀)菊理姫命 事代主命 説 明:案内板を転載します。 「重要文化財氣多神社本殿 氣多神社は養老二(718)年に僧の行基が創建したと伝えられ、また天平宝字元(757)年に、越中 から能登国が分立した後、越の大社と崇められていた能登の羽咋にある氣多大社を、越中国府に近 い現在地に勧請したともいわれている。 盛事には越中一宮として境内の周囲に神宮寺である徳証寺をはじめとする大伽藍が並立していたと 伝えられるが、寿永年間(1182)に木曽義仲、天文年間(1532~1554)には上杉軍と二度の兵火で、 ことごとく焼失したという。 現在の本殿は、永禄年間(1558~1569)に再建されたと伝えられている。 構造は三間社流造、杮板葺きで、正面に一間の向拝を付け、軒は二重繁棰である。斗栱は和様の三 ツ斗で、軒下両側の面柱の上は舟肘木を用いる。 向拝の斗栱は同じ三ツ斗で、正面の虹梁の上には彫刻した蟇股があるが、これは後代につけ加えた ものと思われる。 向拝の柱及び前面の第一列に方柱を用い、他はすべて円柱である。正面の三面及び両側面の一面は 吹通しとし、意匠は簡単であるが、木割が大きく、全体に雄大な風格を備え、県内の本殿中もっと も優れた建築物である。 氣多神社本殿は、室町時代の特徴が充分にあらわれており、作風が優秀であると評価され、昭和六 年一月十九日に国の重要文化財に指定された。 平成二十一年三月 高岡市教育委員会」 住 所:富山県高岡市伏木一宮1‐10‐1 電話番号:0768‐22‐0695 ひとこと:越中一宮のはずなんですが……。 越中一宮とされるのは、ここ気多神社のほか、射水神社、高瀬神社、雄山神社があります。 つまりそれだけ、権力が分散されてたんでしょうね。 気多大社を勧請したということで、神物語などは特に語られないようです。 朝の早いうちにお参りしたからか、雨降りだったからか、空気が綺麗で静かな印象の神社でした。