祭 神:天火明命 相殿:海部直命 天衣織女命 説 明:ご由緒を転載します。 「応神天皇三年四月、大山守命が山海の政を執られた時、大山守命は多遅麻黄布沼前件主 武身命の子、海部直命に多遅麻の海政を執らし、その姓を海部直と称することを許した。 その時、海部直命は、自分の始祖天火明命を黄沼県に祀り、清明宮と称した。仁徳天皇 十年八月、海部直命は城崎郡司を兼ねる事となり、黄沼県を海部村(小島)に置き、多 遅麻の海人を領し、清明宮を海部村に属する絹巻山に遷し、絹巻神社と称した。 履中天皇の御代、海部直部の子、西刀宿禰が城崎郡司となり、宿禰に明治瀬戸の水門の 浚渫を行った。爾来、円山川沿岸は洪水禍をまぬがれたと伝えられている。 仁明天皇仁和元年、神階従五位下を賜り、文化十一年現在の本殿を再建した。 絹巻山は天然記念物の指定をうけ『ひめはるぜみ』の生息地としても有名である」 住 所:兵庫県豊岡市気比940 電話番号: ひとこと:円山川が津居山湾に流れ込む手前、港大橋東詰に鎮座する神社です。 大山守命は仁徳天皇の異母兄なのですが、皇太子に選ばれませんでした。 とはいっても、応神天皇の皇后は仁徳天皇の母親である仲姫ですから、仁徳天皇が選ば れたなら、それほど悔しくもなかったんでしょうが、応神天皇が選んだのは自分と同じ ように身分の低い母から生まれた菟道稚郎子でした。 「納得いかん!!」ってことで、反乱軍を起こすんですね。 で、殺されちゃう。う~ん、いわゆる「モブキャスト」ですね(笑) 大山守命失脚の後も、海部直命はこの地を治めたようですから、時の中央政権とはあま り深く関わっていなかったのか、それとも有力がゆえに朝廷に云々されずに済んだのか。 このそばにある天橋立には、海部氏ゆかりで同じく天火明命を祀る籠神社があります。 支配範囲の広さを考えても、後者かな? 籠神社のように豪華ではありませんが、土地の人に愛されている気配のある神社です。