祭 神:中央座:天照皇太神 豊受大神 左座:八万大菩薩 祇園牛頭天王 稲荷大明神 右座:春日大明神 住吉大明神 恵比須三郎 説 明:案内板を転載します。 「吉志部神社は社伝によれば崇神天皇の御代に大和の瑞籬より神を奉遷してこの地に祀っ たのが創祀といわれています。 明治三年神仏分離時に吉志部神社と改まりましたが、当初は太神宮と呼称し、後に七柱 明神、八柱明神とも称され、世々篤く崇敬されてきました。 神社は創祀以来たびたび兵火に遭い、特に応仁の乱では社殿がことごとく焼失するなど しましたが、その都度再建されたといいます。 今の本殿は慶長十五(1610)年、新羅の国よりこの地に渡来したといわれる難波の吉志 一族の子孫、吉志家次・一和兄弟の勧進により再建されたと伝えられています。桃山風 の造りをよく残した華麗なもので、平成五年八月、国の重要文化財に指定されました。 本殿の形式は大阪府下で唯一の七間社流造で、屋根を檜皮葺とし、正面に千鳥破風及び 軒唐破風を構えています。柱間の飾りは動植物をあしらった比較的大きな蟇股が多用さ れ、ほぼ全体に極彩色が施されるなど、加齢な社殿となっています。また、庇の虹梁頭 貫・海老虹梁・身舎木鼻等の絵様の渦は彫り込まず、彩色で描いていることも特徴の一 つです。 吉志部神社本殿は、線刻を施さない渦や木鼻先の彫刻等に素朴さがみられ、こうした特 徴や手法からは、有力庇護者によらずに営まれた状況がうかがえます。 小規模ながら類例の少ない七間社を装飾性豊かに巧みにまとめていて、近世初頭の郷村 社会の一端をうかがわせる建築として評価が高いものです」 住 所:大阪府吹田市岸部北4丁目18−1 電話番号: ひとこと:社名のとおり、難波の吉志ゆかりの神社のようです。 このあたりは難波吉志らの本拠地だったみたいで、須恵器の窯跡などが見つかっていま す。 吉志の祖神といえば、阿知使主ということになると思うんですが、御祭神にその名がな いのが不思議。 大和から勧請した神様は、天照大神と豊受大神ってことになるんでしょうが……。 伊勢じゃなく大和なのね? どの神社から勧請したのだろう??? 吉志らの渡来人は、日本の神様を、どのように感じてたのでしょうね。 くわしい歴史が残ってないのが、残念。