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許波多神社

kohata






  祭  神:瓊々杵尊 神天忍穂耳尊 神日本磐余彦尊 諡神武天皇
  説  明:案内板を引用します。
      「当神社は孝徳天皇大化元(645)年勅願により皇祖の御神霊を奉祀するため創建せられ、延喜
       式神名帳(927)所載の大社である。
       永禄十二(1569)年九月正一位の神階を宣叙せられた。
       旧大和村柳山境域三万六千余坪擁し、鎮座の故に柳大明神と称し奉った。
       寛永十七(1640)年の秋、五ヶ庄及び近在に牛馬疫流行。信尋公が牛馬疫と心労で病める人々
       の平癒祈願をこめて次の和歌を御献詠になったところ、さしも激しかった疫病も、急に治まっ
       たという(山城名勝志にも記載)。
          燐をたるる 柳の神ならば
           死ぬるをうし 思ひやはせぬ
       延宝六(1678)年社殿営繕のおり、宮中より金品を賜った。
       天和二(1685)年遷宮のおり、神祇官領吉田兼連卿御参向近衛家より正副奉幣使が参向される
       のが恒例となった。明治九年柳山境内地が陸軍火薬庫用地に上地仰せつけられ、旧?屋村神社
       御旅所だった現在地に移転。柳神社を現名称に復した。
        重要文化財 本殿(附)厨子二基棟札
              半舌鐙(附)長舌鐙
        府指定有形文化財 男女神像二躯」
  住  所:京都府宇治市五ヶ庄古川13
  電話番号:
  ひとこと:この地の旧地名が何屋村なのか、調べてもわかりませんでした。
       宇治市が合併した村の中に「〇屋村」なんてなかったし。
       地名じゃないのかなぁ……。
       
       でももっとわからないのが、信尋公の歌ですよ。
       ……これ、神が感じ入るような歌なんですか……?????
       
       近衛信尋は公家で、秀吉や家康ともなんだかんだ関係の深い人物のよう。
       近衛家は藤原北家の傍流ですから、藤原氏です。
       文化人としての名も高いようですけどもね……。
       
      「燐をたるる柳の神ならば」の「燐」はリンですね。
       火の元にもなる。
       でも、柳から燐がとれるの???
       燐は死体から発生しますから、もし柳と燐に関係があるのなら、「死ぬるをうし」とは関連があ
       ることにはなるんですが……。
       
       とはいえ、もし柳から燐がとれるとして、「あなたは燐成分をしたたらせる柳の神なのですから、
       死ぬ雄牛のことを思いやってくださればいいのに」って、なんか意味わからない(^^ゞ
       
       もしかして、当時から柳の下には幽霊が出て、幽霊と一緒に人魂もでて、人魂の成分が燐だと知
       られていましたとかでございましょうか???
       
       だとしても良い歌なのかしら、これってば。
       
       わからぬ。
       
       まぁとりあえず、この神社は皇室とゆかりの深い神社なのでございましょう。
       
       わからぬ。

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