祭 神:大己貴神 少名毘古那命 木花之開耶姫命 保食神 大山祇命 櫛稻田姫神 素盞嗚神 品陀和氣命 玉依姫命 天兒屋根命 説 明:境内案内を転載します。 「我が国古代大和時代伯耆国の国造に大八木足尼が地方官として中央より任命されました。 国造は適地として国庁を八代(社)郷に設置したのであります。 伯耆とは久米、河村、八橋、会見、日野をいい、この管内の祭事と政事を掌っておりました。 国造は大国主命を深く崇敬し、又命に協力した少名昆古那命との二柱の神様を国庁の内に神社を建 てて祭り、国庁裏神社と称しました。 奈良時代元明天皇の和銅二年十一月に伯耆の国司、金上元為は、事務が多くなり国中の各神社に巡 拝することが出来なくなり、国中の各神社を一社に集めて代表神社として祭典を行うこととしまし た。 この代表神社を総社といいました。世移り時変わり、昭和二十年二月に県社に昇格し、現在に至っ ています。 第十九代宮司 松原高廣」 住 所:鳥取県倉吉市国分寺426 電話番号: ひとこと:総社、惣社は国府のそばにあることが多いですね。 国造の負担を減らすため、旧律令国中にある代表的な神社の祭神がまとめて祀られてあります。 面白いのは、そういった重要な神社であるのに、延喜式神名帳に記載されていない「式外社」であ るということ。 延喜式神名帳がなんなのかはよくわかっていませんが、祈年祭にどんな幣帛が贈られたのかが書か れていることから、「祈年祭に何を贈ったのかのリストである」ともされます。 幣帛とは朝廷から神社に賜る供物のこと。 つまり、朝廷はこの神社に幣帛を供えてないんですね。 それがなぜなのか。 ただ単に知らなかったのか、軽んじていたのか、あるいは伯耆の国は、朝廷の支配圏外であったの か。 国府跡も広々としていましたが、それは単に土地が余っているという事情か、あるいは日本海側で、 海外との貿易も盛んだったため、都より栄えていたのか……。 「伯耆国」と、「鳥取県」を一緒にしてはいけないんでしょうね、多分。