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毛谷黒龍神社

kokuryu




  祭  神:高龗神 闇龗神 男大迹天皇
  説  明:ご由緒記を引用します。
      「継体天皇越前國御在住の時、地の理に随ひ日野、足羽、黒龍の三大河の治水の大工事を行われ、
       北陸随一の大河であった黒龍川(九頭竜川)の守護と国土安穏、万民守護のため高屋郷黒龍村
      (舟橋)毛谷の杜に高龗神、闇龗神の二柱の御霊を祀る「毛谷神社」が御創建されました。
       元明天皇の和銅元年(708)九月二十日、継体天皇の御遺徳を景仰し御霊の合祀が行われた。
       後醍醐天皇の元徳元年(1329)六月一日神託により越前守参議藤原國房公が北ノ庄斎屋清
       水の上に(足羽山)に奉還され、元鎮座の村名を併せ「毛谷黒龍神社」と改称され、また元神
       社名を取り麓一帯は「毛矢町」と呼ばれ祭りは賑わい盛儀が行われた。
       慶長八年越前藩祖中納言三河守源秀康公霊験著しきを以て黒龍宮を特別の御崇敬にて松平家祈
       願所とされ、社地として櫻井山(黒龍山)を寄進、御社殿を造営され人々の崇敬殊に篤く奉祀
       も鄭重を極めました。
       元禄三年五月松平吉品公国家の安泰と武運長久を祈願され神殿(今日の藤島神社地)を造営さ
       れ、松平家代々の諸種の献納、祈願が行われた。
       その後、明治八年十二月十日現在の地へ社殿の移築が行われ敦賀県に於いて郷社に加列され、
       同三十三年四月福井市の橋南大火により社殿類焼の後、同三十八年五月十八日再建、現在の本
       殿は昭和三年、拝殿は同六年に再建されたものである。
       昭和二十年の福井空襲、昭和二十三年の福井地震の二度の災害を免れた唯一の神社として多種
       の歴史的文献が残されている。
       昭和五十二年に御創立一千五百年大祭が斎行され、稚児行列など各種の奉祝行事で賑わいまし
       た。
       平成元年には「平成の修改築工事」、境内整備事業が、また平成十六年には神社会館、社務所
       の改築工事が行われた。
       
       神祇史によると我國開闢の時国土守護の神として國の四隅に四座の神を祀られ、即ち北は越前
       黒龍大明神、南は紀洋の熊野大明神、東は常陸の鹿島大明神、西は安芸の厳島大明神であった。
       そうした神威いみじく日本古来の四大明神の一つとして往時は年に七度の祭儀が行われた」 」
  住  所:福井県福井市毛矢3丁目8番1号
  電話番号:0776‐38‐7800
  ひとこと:素戔嗚の八俣大蛇退治については、川の治水のことであるとか、鉄の民を恭順させたことであ
       るとかいろいろ言われていますが、ここ越前における大蛇退治は、九頭竜川の治水を指したよ
       うですね。
       
       日野川も足羽川も九頭竜川の支流ですし、「三大河の治水」=「九頭竜の治水」と考えて良い
       と思います。
       
       確かに、九頭竜川の流れは豊かで、美しかったです。
       
      「九頭竜」の伝説は、大阪の能勢にも、戸隠にも、箱根にもありますよね。
       それらがすべて同じ龍なのかどうかはわかりません。
       
       多分、違うと考える方が現実的でしょう。
       
       でももしそうなら、豊かな川を龍神として畏れ、あるいは敬うのは、人の自然な気持ちなのだ
       なぁと。
       それはそれで感慨深いと思います(笑)

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