祭 神:駒形大神 説 明:ご由緒書から引用します 「駒形神社は千五百年程前、焼石連峰の駒ヶ岳山頂に祀られ、明治三十六年(1903年)、 現在地にお遷り申し上げました。 雄略天皇の御代(456年頃)、第十代崇神天皇の末裔である上毛野胆沢公が駒ヶ岳山 頂(現在は大日岳)に駒形様をお祀りになりました。 坂上田村麻呂征夷大将軍(802年頃)は、蝦夷のアテルイと無血の戦ののち、蝦夷の 守護神でもあった駒形神社の神階昇格を幾度と朝廷に申し出ました。 仁寿元年(850年)、駒ヶ岳山頂(現在の駒ヶ岳)に初めて社殿が建立されます。慈 覚大師によるものと伝わります。 貞観四年(862年)には東北地方で最高階位の神格を得ます。延長五年(927年) の延喜式神名帳に記載されることとなりました。この延喜式に記載された神社を『式内 社』と呼びます。 平泉に栄華を築いた奥州藤原氏は、田村麻呂公や源頼義・義家公の武運祈願成就に倣い、 駒形様を尊崇し、ご分霊を前沢の束稲山(駒形山)にお祀りしました。 藩政期には、伊達仙台藩、南部盛岡藩の両藩より主語され、約二十年ごとに山頂社殿が 造り替えられました。駒ヶ岳山頂の社殿は、両藩の藩境の起点として大切にされました。 現在の駒ヶ岳山頂より、釜石市唐丹湾まで百三十キロメートルに及ぶ藩境の目印となっ た『藩境塚』が遣っています。 明治四年(1871年)、国幣小社となり、水沢県庁近くに鎮座していた鹽竃神社(現 社殿)を仮遙拝所とし、明治三十六年五月三日、駒ヶ岳山頂よりご遷座申し上げました。 台湾総督や鉄道総裁、ボーイスカウト総裁、東京市長を勤めた後藤新平氏は、当地水沢 出身で駒形さまを大切にされた方です。新平氏は関東大震災後、復興院を創設した方で、 当地方や東京では氏を尊崇する方が多く、東日本大震災では氏に倣い、復興庁が創設さ れたことは言うまでもありません。孤高の政治家であった第三十代内閣総理大臣齋藤質 氏も新平氏と同じく駒形様を大切にされました。 近代では平成十五年奉遷百周年記念事業としてご社殿がご造営され、平成二十二年八月 一日には駒ヶ岳山頂の奥宮が竣工いたしました」 住 所:岩手県水沢市中上野町1 電話番号:0197-23-2851 ひとこと:ご神体となった駒ヶ岳が見えるかなと思って、社務所にいらした神職さんに尋ねたんで すが、「見えるかなぁ?見晴らしの良いところにいけば見えるかもしれませんが」と困 ったようにほほえまれたんで、あきらめました(^^;) アテルイらも崇拝した神社と考えて良いのでしょうか。 とすれば、縄文時代から続く神様と言えるかもしれません。