祭 神:落別王 説 明:境内の案内を転載します。 「創建は明らかではないが、古くは前方後円墳の形があった。古墳上に祀る『古事記』に垂仁天皇 の御子許呂母の落別王とあり、虫歯で病む人が炒り豆を供えて祈願すると、速やかに治るという 参拝者が多い。 明治九年三月十五日、据置公許となる。 例祭予定 例年四月第二日曜日 社殿 本殿折造 三十坪、拝殿 三、〇坪 特殊神事(神賑行事)昔は子ども相撲が有った。 七月天皇祭、十一月火伏祭 神事催行 境内坪数 二四六、〇〇坪、挙母神社古書調べ 四区祭典委員会」 児子口古墳 「今から1960余年前、人皇11代垂仁天皇皇子衣君落別王命、西三川衣の里を開き、当地し給 ふ碧海西辺、知多東部を命は御備揃を調べて御巡回中、図らずも此の地にて薨去あそばされたの で、社殿を創建す。明治五年神社調に祭神は衣君落別王命の陵と伝えられる。明治四十年境内西 北より石刀、墓所より曲玉出土。お供二人の殉死者も此の陵に眠る。 昭和47年3月 発起人一同」 住 所:愛知県豊田市久保町4‐99 電話番号: ひとこと:広い公園が隣接していて、川やら太鼓橋やらがかかっているのですが、お社自体は小さくて、本 当にここなのかと悩みます。 工事をしていた人に聞いたら、「ここしかお社はないですね」とのことでしたし、御陵とされる 場所も近くにあるので、多分ここか、と。 猿投神社に垂仁天皇が祀られているのは、無関係なんでしょうか?