祭 神:帶仲彦天皇 息長足姫尊 應神天皇 仁徳天皇 天手力男命 八意思兼命 住吉大神 説 明:境内案内板を引用します。 「当社は延喜式第十巻神名帳書載の壱岐島石田郡興神社である。 社記に言う。往古壱岐伊宅郷国名村(湯岳村)国の一宮国分社でまた官庫の鑰政所の印を納め ていたので印鑰大明神と称したとある。 神明記には興神社こう村以前は印鑰大明神式内社とある。 神社帳には湯岳村久保頭興神社一宮とあり、式内二十四座の内、宝殿拝殿あり、神主吉野数之 進とある。 嵯峨天皇弘仁二年十月(千二百年前)朔日御鎮座で文徳天皇仁壽元年(千百四十年前)正六位 上に叙せられ、以降十回にわたり、各一階ずつ神階を進められ給う。 永禄九年(四百四十年前)宝殿再建。松浦肥前守源隆信公の棟札あり。 同年十三年、拝殿再建。松浦肥前守源鎮信公 慶安二年(三百四十年前)国主松浦肥前守鎮信公、木鏡及石額奉納せらる。 社記には例祭日の前夜、大神楽翌例祭日には国主名代兵具や幣帛を献上するとあり。又女池の 行宮に渡御ありと記されている。 壱岐七社の一つで、明治九年十二月四日、村社に列せらる。 明治四十年神饌幣帛料共進神社に指定せらる」 住 所:長崎県壱岐市芦辺町湯岳興触676-1 電話番号: ひとこと:「鑰」は「カギ」ですね。 一之宮ですが、静かです。 地元の方によれば、島民は正月になると、七社巡りをする習慣があったのだとか。 その際、「橋を渡ってはいけない」という決まりがあったそうです。 なぜ橋を渡ってはいけないのかはわからないそうですが、そそられる決まりだ……。 でも、理由を尋ねてみたら、 「このあたりは水害はありませんから、水が怖いというより、単純に水位が増えると飛び石がな くなって渡れないから、なるべく河川を避けたんじゃないでしょうか」 とのことでした。 ま、そんなもんですよね。 ルールには合理的説明がつくことが多いです(^^;)